「ロバート・ジョンソン」の版間の差分

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[[1936年]][[11月]]、ジョンソンは[[テキサス州]][[サンアントニオ]]で初めてのレコーディング・セッションに臨み、3日間で16曲をレコーディングした。[[1937年]][[6月]]には二度目のレコーディングのために[[ダラス]]に赴き、13曲を残している。彼が生涯に残したレコーディングは、この2回の合計29曲(42テイク)だけである。
 
翌1938年8月16日にジョンソンは27歳で死去した、彼の死因については諸説あり不明である。「ダンスパーティーで知り合った人妻と不倫をしたため、夫により飲み物に[[ストリキニーネ]]を盛られて[[毒#利用|毒殺]]された」、「人妻との情事を夫に目撃され、その場で刺殺された」などが知られあり不明であが、ジョンソンの妹は病死だったとしている。亡くなったミシシッピ州グリーンウッドの役場に提出された彼の[[死亡届]]では、彼の死因欄には「No Doctor」とだけ記載されている。上記のクロスロード伝説では、彼を殺したものは悪魔であると語られている。
 
1938年暮れ、プロデューサーの[[ジョン・ハモンド]]が[[カーネギー・ホール]]での開催を予定していた「スピリチュアル・トゥ・スウィング・コンサート」にジョンソンを出演させるため、彼を捜してまわったが、その時にはジョンソンは死去していた。