「ボーイング367-80」の版間の差分

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Chihaya Sta (会話 | 投稿記録)
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ジョンストンは安全に確信を持っていたが(機動が終わった時の高度は1600ftで、機動中、機体は常にほぼ下方向に1Gをわずかに上回る力がかかっている状態だった、という)、クビにならなかったのは、社長が新型機開発のためにはかけがえのないパイロットであると感じていたからであった。アレンは後に、この件をユーモアをもって話せるまでには「22年の時間が必要だった」と語っている。<ref>この節ここまで、『ボーイング747を創った男たちーワイドボディの奇跡』クライヴ・アーヴィング:著・手島尚:訳、講談社=2000年11月15日刊 ISBN 9784062104579 pp. 178~182</ref>
 
この伝説は今でも生きており、1994年6月に[[ボーイング777]]の初飛行を担当したチーフテストパイロットのジョン・キャッシュマンは、飛行前に社長から受けた最後の指示が「'''ロールするな'''」であったと語っている。
 
ライバルのダグラスも[[DC-8]]で緩降下中に[[音速]]を突破してみせるなど、ライバル意識を燃やした。コメットの試作機も1953年の[[ファーンボロー国際航空ショー]]で超低空90度バンクターンを決めている。まだ戦前の、演ずる方も見る方も命懸けだった時代の航空ショーのなごりが残っていた時代であった。