「トミ・マキネン」の版間の差分

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マキネンのレース運びの特徴は、得意なステージでライバルに差をつけ、終盤はライバルのペースをみながらリードを保ち勝利を得るというものだった。特にモンテカルロや地元のフィンランドではより鮮明に表れていた。
 
フィンランド人ドライバーであるが、[[ターマック]]ラリーも得意であり、1997年の[[ラリー・カタルーニャ|カタルーニャ]]でスバルの[[ピエロ・リアッティ]]を7秒差で下して勝利したときを境に、[[ラリー・モンテカルロ|モンテカルロ]]では1999年~2002年に4年連続で、[[ラリー・サンレモ|サンレモ]]では1998年と1999年に2年連続で勝利を飾っている。特に前述の通りモンテカルロを大得意しており相性は抜群で、1997年には総合3位、1099年~2002年では前述の通り史上初の4連覇を達成している(1098(1998年と2003年はリタイヤ)。モンテカルロでの4連覇記録は未だ破られていない(最多。なお、モンテカルロでの通算勝利記録は4勝で[[ワルター・ロール]]との最多タイ記録だったが、後にローブにより更新された(7勝)。
 
ちなみに、ターマックでは前述のモンテカルロの4連覇、グラベルではフィンランドの5連覇という1イベントにおける連覇記録を持っていたが、いずれも後にローブによって更新されている(ターマックでは[[ラリー・ドイチュラント|ドイツ]]と[[ラリー・カタルーニャ|カタルーニャ]]の8連覇、グラベルでは[[ラリー・メキシコ|メキシコ]]の6連覇)。
 
しかし、ツイスティで独特なコースが特徴であるツール・ド・コルスとの相性は良くなく、初出場の1997年は6速全開200km/hで突如、コース上に現れた牛と激突して、50メートル崖下に転落してリタイア<ref>"[http://www.mitsubishi-motors.com/motorsports/j/97wrc/97tourdecorse/topics/release.html 1997世界ラリー選手権(WRC)第6戦ツール・ド・コルス 第2レグ速報]". 三菱自動車.(1997年)2013年12月22日閲覧。</ref>。崖からの転落にも関わらず、マシンは前後が大きく潰れるだけで済み、奇跡的にも無傷であった。翌1998年は[[ECU]]のトラブルで、三菱最後の出場となった2001年もニューマシンの熟成が進まず、岩に激突、転倒し崖に転落する寸前で止まる大事故となった。この事故で長い間コドライバーを務めたリスト・マニセンマキが背中を痛め長期休養し、カイ・リンドストロームに交代することとなった。