「クルアーン」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Syrotyna (会話 | 投稿記録)
16行目:
 
まとめられる以前は、イスラーム共同体全体としての統一した文字化が行われなかったため、次第に伝承者や地域によって内容に異同が生じたり、伝承者による恣意的な内容の変更や伝承過程での混乱が生じはじめて問題となったため、第3代[[正統カリフ]]の[[ウスマーン・イブン・アッファーン|ウスマーン]]はこれに危機感を抱いてクルアーンの正典化を命じ、[[650年]]頃、[[ザイド・イブン=サービト]]([[:en:Zayd ibn Thabit|英語版]])らによってクルアーンの編集・文書化が行われて1冊のムスハフにまとめた。ウスマーンは公定ムスハフを'''標準クルアーン'''(ウスマーン版と呼ばれる)とし、それ以外のムスハフを焼却させた。このためウスマーン版を除くムスハフは現在までのところ発見されておらず、クルアーンに[[偽典]]や[[外典]]のたぐいは存在しないとされる。
 
[[1972年]]に発見された{{仮リンク|サナア写本|en|Sana'a_manuscript}}には、ウスマーン版以前のものと考えられるクルアーンの断片が含まれており、ウスマーン版以外のクルアーンの内容を伝えるものとして今のところ唯一のものである。
 
== 特徴 ==