「ギフテッド」の版間の差分

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→‎日本にギフテッドが浸透しない理由: {{仮リンク|氏か育ちか論争|en|Nature versus nurture}}、出典 Quotation
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日本国内においてギフテッドの定義が浸透しないのは、欧米の機会平等主義に対して日本が能力平等主義であること、一人一人の人間が天・神によって創られているという欧米の宗教観に対して日本では血にこだわる素朴遺伝観が強いといった差が要因にあると言われている。この相違点は{{仮リンク|氏か育ちか論争|en|Nature versus nurture}} にも繋がる。
 
[[上智大学]]の[[加藤幸次]]は、欧米と日本との「人間観の相違点」として次のように述べている<ref>[http://www.nichibun-g.co.jp/library/sei-kyoshitsu/037/s370104.htm アメリカにおける能力別グループ指導]</ref>
{{Quotation|欧米では習熟度別指導が早くから導入され、一般化しています。一般的にいわれていることですが、欧米では人間の成長・発達というものは一人ひとり違っているという前提が受け入れられているのです。それに対して、日本では“努力すれば、勤勉であれば、人間は皆同じペースで成長・発達していくものである、あるいは、いくべきである”と考えられています。実は、欧米では「習熟度別」とはいわず、はっきりと「能力別」というのです。能力というのは生まれつき、その人に備わっているものです。その能力に応じて指導しようというのです。他方、日本語の“習熟”という言葉は、くり返し学習するようにすれば、誰でも一定のレベルに達するべきである、と理解されます。|加藤幸次|アメリカにおける能力別グループ指導{{Cite web |url= http://www.nichibun-g.co.jp/library/sei-kyoshitsu/037/s370104.htm|title=アメリカにおける能力別グループ指導 |accessdate= |author=加藤幸次 |authorlink=|quote= |language= ja|archiveurl= http://web.archive.org/web/20040825023835/http://www.nichibun-g.co.jp/library/sei-kyoshitsu/037/s370104.htm|archivedate=2004-08-25 |deadlinkdate=2014-08-25|ref=}}}}
[[恒吉僚子]]の著書『人間形成の日米比較』にも同様の記述が見られる。
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|pages = 複数ページ(pp.をページ数の前に挿入します)。chapterに値が指定されないと有効になりません。
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}}</ref><ref>[{{Cite web |url=http://www.ponpo.jp/madarame/lec1/tsuneyoshi.html |title=東京大学工学部システム創成学科 班目春樹 社会のための技術講義ノート|accessdate=2013-08-25 |author=班目春樹}}</ref>}}
 
現在の日本社会にそぐわない知性論そのものを周知させることが、常に逆差別や感情論などを引き起こし議論を停滞・誤解させる危険を伴う。また「ギフテッドは生まれつき」という概念を浸透させるには、血にこだわり建前として能力平等を前提とする日本社会において遺伝子論争や[[優生学|優生]]思想を避けては通れないため、ギフテッド・プログラム導入には非常に慎重にならざるを得ない。