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| 時代 = [[戦国時代 (日本)|戦国時代]] - [[安土桃山時代]]
| 生誕 = [[永禄]]7年([[1564年]])
| 死没 = [[天正]]8年[[4月14日 (旧暦)|4月14日]]([[1580年]][[5月27日]])
| 改名 =
| 別名 = 与七郎(通称)
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| 氏族 = [[奈古屋氏]]
| 父母 = 父:[[奈古屋元堯]]
| 兄弟 = '''元賀'''、[[奈古屋元忠|元忠]] '''
| 妻 =
| 子 =
| 特記事項 =
}}'''奈古屋 元賀'''(なごや もとよし、[[永禄]]7年([[1564年]]) - [[天正]]8年[[4月14日 (旧暦)|4月14日]]([[1580年]][[5月27日]]))は、[[安土桃山時代]]の人物。父は[[奈古屋元堯]]。弟に[[奈古屋元忠]]。[[通称]]は与七郎。
 
[[毛利輝元]]に近習として仕える。[[天正]]8年(1580年)の輝元の[[備中国|備中]]出陣に従軍したが、同年[[4月14日 (旧暦)|4月14日]]の虎倉城攻撃の途上、下加茂の山中において[[伊賀久隆]]の強襲を受け、毛利軍は先鋒部隊の将であった[[粟屋元信]]を始めとした将が討ち取られる大敗を喫し、奈古屋元賀もこの戦いで戦死した。享年17。戦死した元賀に代わり、弟の[[奈古屋元忠|元忠]]が奈古屋氏の嫡子となり、後を継いだ。
 
== 参考文献 ==
*[[萩藩閥閲録]]
 
{{デフォルトソート:なこや もとよし}}
[[Category:戦国武将]]
[[Category:1564年生]]
[[Category:1580年没]]