「フェアポート・コンヴェンション」の版間の差分
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'''フェアポート・コンヴェンション'''('''Fairport Convention'''、[[1967年]] - [[1979年]]、[[1985年]] - )は、[[イギリス]]の[[フォークロック]][[バンド (音楽)|バンド]]。
[[1969年]]発表のアルバム'''リージ・アンド・リーフ([[:en:Liege & Lief|en]])'''は、ロックの分野で[[民謡]]、[[古謡]]([[トラッドバラッド]])を電気楽器を用い現代的に解釈した作品で、[[ボブ・ディラン]]以降のフォークロックに一石を投じ、これ以降イギリスを代表するフォークロック・バンドとして認知され、世代や分野を越え多くのミュージシャンに影響を与えた。
代表曲はミート・オン・ザ・レッジ([[:en:Meet on the Ledge|en]])、[[古謡]]のマティ・グローヴス([[:en:Matty Groves|en]])など。
元メンバーのリチャード・トンプソンが「[[ローリング・ストーン]]の選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において、2003年は第19位、2011年の改訂版では第69位に選ばれている。
== メンバー ==
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* ブルース・ローランド(Bruce Rowland、ドラム):75年 - 84年
* ボブ・ブレイディ(Bob Brady、ピアノ):76年
* ダン・ア
* ロジャー・バリッジ(Roger Burridge、フィドル):76年
* マーティン・アルコック(Maartin Allcock、ギター、マンドリン、キーボード、ボーカル):85年 - 96年
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''' 1967 - 1979'''
[[1966年]]に[[ロンドン]]で結成した[[サイモン・ニコル]]([[:en:Simon Nicol|en]])、[[アシュリー・ハッチングス]]([[:en:Ashley Hutchings|en]])、[[リチャード・トンプソン (音楽家)|リチャード・トンプソン]]([[:en:Richard Thompson|en]])らのアマチュア・バンドが前身。翌年[[ジュディ・ダイブル]]([[:en:Judy Dyble
初期はブルース、アメリカのフォークロックを好んで取り上げていたこと、メンバー編成の類似で「イギリスの[[ジェファーソン・エアプレイン]]」と称されたり「アメリカ(出身)のバンド」と誤解された。[[サイケデリック・ロック]]流行下に[[ピンク・フロイド]]、[[ソフト・マシーン]]などと共演する中、[[エレクトラ・レコード]]の[[ジョー・ボイド]]([[:en:Joe Boyd|en]])にスカウトされ[[トラック・レコード]]からシングルでデビューする。
1stアルバム、フェアポート・コンヴェンション(Fairport Convention)はトラック・レコードの倒産で発売は[[1968年]]になってしまい、その頃にはダイブルが脱退し、フォーク界でソロ活動や[[ストロウブス]]([[:en:Strawbs|en]]
[[1969年]]5月12日[[バーミンガム]]公演<ref>共演はトレバー・ルーカス在籍のエクレクション([[:en:Eclection|en]])</ref>を終え帰途中の[[M1]]ハイウェイで、バンドの移動車が交通事故を起こし、ランブルとトンプソンのガールフレンドが犠牲になった<ref>ユニバーサルミュージックUICY93988 解説</ref>。[[ハイド・パーク]]で追悼コンサートが開かれ、[[ローリング・ストーンズ]]、[[キング・クリムゾン]]などが参加した。事故の傷手は大きく解散が話し合われたが、ジョー・ボイドの助言、次作構想<ref>フォーク・シーンの
ニューポート・フォーク・フェスティバルでの[[ボブ・ディラン]]のエレキ・ギター使用騒動([[ボブ・ディラン]][https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%A9%E3%83%B3#.E3.82.A8.E3.83.AC.E3.82.AF.E3.83.88.E3.83.AA.E3.83.83.E3.82.AF.E3.81.B8.E3.81.AE.E8.BB.A2.E6.8F.9B]'''エレクトリックへの転換'''参照)
しかし事故の傷痕を癒さぬまま活動した疲労感と、新たな活動場所
[[1973年]]元フォザリンゲイ([[:en:Fotheringay|en]])のトレバー・ルーカス([[:en:Trevor Lucas|en]])、ジェリー・ドナヒュー([[:en:Jerry Donahue|en]])が加入、[[1974年]]サンディ・デニーが復帰し[[1975年]]通算10枚目のアルバム(ライヴ録音盤は除く)ライジング・フォー・ザ・ムーン([[:en:Rising for the Moon|en]])発表
しかし、アルバムのセールス不振やメンバー間の確執から、マタックス、再びソロ活動を志望したデニー
この作品発売をもってアイランド・レコードとは契約解除、サイモン・ニコルが復帰し[[ヴァーティゴ・レコード]]と契約、2作を発表後、[[1979年]]
''' 1980 - 現在'''
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* [http://www.fairportconvention.com/ Fairport Convention Official Website]{{en icon}}
{{DEFAULTSORT:ふえあほおとこん
[[Category:イングランドのバンド]]
[[Category:フォーク・ロック・バンド]]
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