「チェルノブイリ原子力発電所」の版間の差分

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[[1986年]][[4月26日]]午前1時23分([[モスクワ時間]] ※[[UTC+3]])に、4号炉が[[チェルノブイリ原子力発電所事故|原発事故]]を起こし、世界中にその名が知られた。
 
その時点で、既に建設中だった5号炉と6号炉は、建設が中止された。その後も1号炉-3号炉の運転は、国全体レベルで電力不足などを引き起こすなどとされたため続けられたが、[[2000年]][[12月]]に最後まで稼働していた3号炉を停止した。その際、それまでの名称から、'''独立国営事業体チェルノブイリ原子力事業所'''に変更された。
 
== 名称 ==
事故時を含め、建設以降の正式名称は'''V・I・レーニン共産主義記念チェルノブイリ原子力発電所'''(<span lang="ru">Чернобыльская АЭС им. В.И.Ленина работает на коммунизм</span>)。とくに[[ウラジミール・レーニン|レーニン]]のゆかりはなく、「[[共産主義]]とは[[ソビエト]]の権力と全国の電化である」というレーニンの言葉にちなんで名づけられた。[[発電所]]の[[看板]]は、[[放射性物質]]汚染により交換が困難なため、今もこの名前のままである。ロビー前の広場にはレーニンの[[胸像]]がある。
 
[[1991年]]の[[ソ連崩壊]]後、名称が'''チェルノブイリ原子力発電所'''と改称された。
 
2000年の発電停止後、[[独立国営事業体]]'''チェルノブイリ原子力事業所'''となった。
 
日本の原子力関係省庁および電力会社の文書には、[[英語]]読みである'''チェルノブイル原子力発電所'''(Chernobyl Nuclear Power Plant)と書かれているものが多数ある。
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== 脚注 ==
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{{ウクライナの原子力産業}}
{{チェルノブイリ原子力発電所事故}}