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=== 堀田正虎・正春・正亮 ===
奥平松平家の後、陸奥福島藩より堀田家が再び入部した<ref name="山形藩94">横山『シリーズ藩物語 山形藩』、P94</ref>。藩主はかつて山形藩主だった堀田正仲の双子の弟[[堀田正虎|正虎]]である<ref name="山形藩94"/>。正虎は農政に力を注いだが<ref name="山形藩95">横山『シリーズ藩物語 山形藩』、P95</ref>、幕府の元禄期における[[生類憐みの令]]に絡んでの寺社造営や修復が盛んに行なわれて出費増大の一途を辿っており<ref name="山形藩94"/>、堀田家の財政は福島藩主時代から正俊暗殺後の世評や所領削減などで苦しくて家臣の中には堀田家を辞する者も多かったし、家臣の知行から[[上米]]を行なっても返却されることはなく家臣は困窮した<ref group="注釈">『[[年寄部屋日記]]』</ref>という<ref name="山形藩95"/>。
 
正虎は[[享保]]13年(1728年)10月に[[大坂城代]]に任命されてまもなく急死<ref name="山形藩94"/>。跡を継いだ養子の[[堀田正春|正春]]も在任2年で17歳の若さで死去<ref name="山形藩94"/>。養子の[[堀田正亮|正亮]]が跡を継いだ<ref name="山形藩94"/>。正亮も大坂城代を務めたので、延享元年(1744年)に[[播磨国|播磨]]・[[河内国|河内]]で4万石を与えられる代わりに出羽村山郡の4万石は収公された<ref name="山形藩94"/>。