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日本の医療が抱える諸問題をも自分の体験を基礎に執拗に提起した。総合雑誌『中央公論』1994年2月号から95年2月号まで「大学病院で母はなぜ死んだか」という連載記事を13回、寄稿し、自身の母親が膵臓ガンと診断され、東京都内の大学病院で手術を受け、抗ガン剤投与の結果、副作用が激しく、急に死亡した経過を病院や医師などをすべて実名で記して、ルポルタージュとして報告した。この連載記事で患者へのインフォームド・コンセント(告知)や患者側家族との協議や説明など関する日本の医療の欠陥を指摘した。同時に患者側が手術の前に医師に支払う「謝礼金」の慣行の不明朗、不透明についても詳述した。古森はとくに「謝礼金」問題を産経新聞やフジテレビでも再三提起して、その非を訴えるとともに、アメリカやフランス、中国など諸外国の医療にも不明朗な「謝礼金」授受の習慣があるか否かを報道した。なお前記の雑誌連載は1995年、第一回「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム作品賞」を受賞した。雑誌連載は後に編集者単行本「大学病院で母はなぜ死んだか」(中央公論社、中公文庫)としても刊行された。
 
=== 東西冷戦の終結報道で日本記者クラブ賞を受賞 ===
古森は東西冷戦終結の前後の数年間、ロンドンとワシントンに駐在して、東欧諸国の共産主義政権の崩壊から新生の民主主義志向政権への移行の複雑なプロセスを現地を広く回って多角的に報道した。ルーマニア取材チャウシェスク夫妻処刑の革命、チェコの無血のビロード革命、ブルガリアのジフコフ政権自然崩壊などを現地の人間ドラマとイデオロギー問題を組み合わせる形で報じ、その結果は産経新聞での長期連載「東欧解放の行方」(1990と題して1990年2月から3月まで掲載)となっされた。古森はまたワシントンからソ連共産党体制の崩壊とそれに伴う東西冷戦の終わりが日米同盟にどのような影響を与えるかを立体的に報道し、論評した。古森のこうした一連の報道に対しては1993年度の日本記者クラブ賞が授与された。
 
{{要出典範囲|date=2014年9月1日 (月) 14:12 (UTC)|日本記者クラブの鮫島敬治理事長は1993年5月の授賞式で古森記者の受賞理由として「ソ連邦の崩壊、それに伴う東西冷戦終結というこの数年の世界の大変動を幅広く取材、20世紀末の末のうねりを多角的・実証的に報道、分析と論評を続けてきたこと。さらに幅広い人脈を生かした各界各層の肉声が伝わってくるようなインタビュー記事が鋭い問題意識とニュース感覚に裏打ちされている」ことをあげた。古森は「名誉なこと。評論、エッセー、特別企画などでの受賞者は多いが、私のようなストレートニュース報道の一線の記者に与えられたことは、現代ジャーナリズムが国際報道の重要性を認知したことと受け止め、二重にうれしく思う」と述べた}}
 
== 著書 ==