「ピーノ・グレコ」の版間の差分

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殺し屋としてはカリスマ的な人物で、若いマフィオーソの中にはピーノを崇拝している者もいた。
 
マフィア組織の兵隊から幹部クラスまで出世した。ただ[[コーサ・ノストラ]]の掟などを重く考えずに、会合などに出席せず、代理人を行かせたりする事で、[[サルヴァトーレ・リイナ]]の反感を買っていた。[[1985年]]秋、リイナの指示により[[:w:Vincenzo Puccio|ヴィンチェンツォ・プッチ]]と[[:w:Giuseppe Lucchese|ジュゼッペ・ルッケーゼ]]に自宅で射殺された。遺体は彼の仲間に拷問・殺害された犠牲者同様、酸で処分され、[[地中海]]に捨てられた。イタリア当局は、[[1986年]]かしく現在も見つ[[1987年]]に行われたマフィア幹部の大裁判におて、58人の殺害容疑で本人不在のままグレコに[[終身刑]]の判決を下したが、[[1988年]]にって情報提供者[[:w: Francesco Marino Mannoia|フランチェスコ・マリーノ・マンノイア]]の証言により、殺害されてたことが判明した。ミケーレ・グレコの死後、リイナは友人で後に情報提供者となった[[:w:Salvatore Cancemi|サルヴァトーレ・カンチェーミ]]に「狂人に効く薬が見つかったのはわかるだろう?『小さ(ピーノ)』は殺したよ、つは頭がおれちましくなったから」と語ったという。
 
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