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== 来歴 ==
[[1950年]](昭和25年)に、[[熊本市]]で在日韓国人二世として生まれる。父は、[[1916年]](大正5年)に旧朝鮮南部の[[慶尚南道]][[昌原郡]]南山里(現・[[昌原市]]義昌区)に生まれ、[[1931年]](昭和6年)に仕事を求めて自らの意思で日本へ渡った。母は[[1923年]](大正12年)に旧朝鮮で生まれ、[[1941年]](昭和16年)に釜山近くの鎮海(現・昌原市[[鎮海区 (昌原市)|鎮海区]])から[[許嫁]]の父を訪ねるべく[[関釜連絡船]]で渡日した<ref name="姜2004a.pp.27-29">[[#姜2004a|姜(2004a)]]、27-29頁</ref>。
 
[[熊本県立済々黌高等学校]]を経て、[[1974年]](昭和49年)[[早稲田大学]][[政治経済学部]]卒業、[[1979年]](昭和54年)早稲田大学[[大学院]][[政治経済学部|政治学研究科]][[大学院#大学院の課程と教育内容|博士課程]]修了。[[ドイツ|西ドイツ]]・[[フリードリヒ・アレクサンダー大学エアランゲン=ニュルンベルク|エアランゲン大学]]文学部研究生留学([[1979年]](昭和54年) - [[1981年]](昭和56年))を経て、[[明治学院大学]]講師、[[国際基督教大学]][[准教授|準教授]]を経て、[[1998年]](平成10年)[[東京大学社会情報研究所]]助教授、[[2004年]](平成16年)東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授(所属:社会情報研究所 情報行動部門)。2010年(平成20年)東京大学大学院情報学環教授 兼 現代韓国研究センター長。専攻は[[政治学]]・政治思想史。研究分野はアジア地域主義論・日本の帝国主義を対象とした[[ポストコロニアル理論]]。
 
当初、[[通名|日本名]]「'''永野鉄男'''(ながのてつお)を名乗っていたが、早稲田大学在学中に韓国文化研究会に参加し、[[1972年]](昭和47年)の訪韓以来、韓国名を使用する。[[2011年]](平成23年)に開催された句会の席上、姜は自らの生い立ちについて「生まれは[[熊本県|熊本]]で[[本名]]は永野鉄男です。でも今から三十八年前、二十二歳のときに、思うところがあって姜尚中を名乗りました」<ref name="kaneko20110301">[[金子兜太]]・[[フランソワーズ・モレシャン|F・モレシャン]]・姜尚中・[[パンツェッタ・ジローラモ|P・ジローラモ]]・[[楊逸]]・[[アーサー・ビナード|A・ビナード]]「吉例新春外国人句会--大型新人姜尚中はじめての俳句の巻--『蒲団上げ世界を描くわが粗相』作者はまさかの……」『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』89巻3号、[[文藝春秋]]、[[2011年]][[3月1日]]、160頁。</ref>と語っている。
 
[[1995年]](平成7年)、青丘文化賞受賞。