「スラヴ人」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
37行目:
一方、[[西ヨーロッパ]]においても少数ながらスラヴ民族が現在も住居している。特に[[ドイツ]]東部においては、古来よりポーランドとの国境付近には[[ドイツ人]]と[[ポーランド人]]との混血集団である[[シレジア]]人を始め、[[エルベ川]]東部にもスラヴ系集団が住居し、現代に至るまで[[ドイツ人]]との間で複雑な相克の歴史を持つ。現在もドイツ東部には[[ソルブ人]]が住居している。また中世以来の古い家系でありながらスラブ系やスラブ系由来の姓を持っているドイツ人は多数いる。近代以降は[[カナダ]]に大量のスラヴ人が移住している。彼らは英語化し、もとの母語であるスラヴ語を失っているものの、カナダ最大の民族は[[アングロサクソン]]ではなくウクライナ人やポーランド人を基幹とするスラヴ人であるとされる。また、[[シカゴ]]を含むアメリカの[[イリノイ州]]の住民は圧倒的にスラヴ系が多い。
 
なお、スラヴ人の中で最大の民族集団である[[ロシア]]の[[語源]]については、いくつか説はあるが、現代のウクライナの首都[[キエフ]]を中心とした[[キエフ大公国|キエフ・ルーシ]](キーフの正式国号「'''ルーシ大公国)の国号'''」からとられたとも言われている。この「ルーシ」をギリシャ語読みすると「ロシア」となる。本来、地理的にキーフルーシがルーシ(ロシア)の名を引き継ぐべきところであるが、歴史的に[[モンゴルのルーシ侵攻|モンゴル支配]]以降、急速に台頭してきた新興国家[[モスクワ公国]](キーフルーシの一構成国でのちにロシア帝国となる)に「ロシア」の主導権を握られ、先を越された感がある。なお、キーフルーシはその後ロシア帝国の一構成集団として取り込まれていった後、[[ウクライナ]]として現代ロシアとは別の国家として存続している。
 
そのため、[[ウクライナ人]]の中には、これらの歴史的経緯からウクライナ人と[[ロシア人]]は同じスラヴ民族であり、近隣同士の間柄としてともに歩んできたものの、ロシア人とウクライナ人とは一線を画している、とする論調が存在し、それが両民族の間にさまざまな軋轢をもたらしていることも、また事実である。なお、ウクライナ人自身も長い歴史の中で[[ゴート族|ゴート人]]、[[ノルマン人]]、[[スキタイ]]人そして東スラヴ人との混血によって形成された民族集団である。