「イエローリボン」の版間の差分

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== アメリカ合衆国における意味 ==
愛する人、特に[[戦争]]に送られ、一時的に祖国に帰ることができなくなった[[兵士]]達に対して、帰りを待ちわびているという思いを表す[[シンボル]]として使われている<ref>Jack Santino [http://www.jstor.org/discover/10.2307/541997?uid=3738328&uid=2&uid=4&sid=21101270307997 In the Wake of the Gulf War: Untying the Yellow Ribbon] Cultural Critique
No. 19, The Economies of War (Autumn, 1991), pp. 97-117</ref>。兵士に対するリボンには「Support Our Troops」というメッセージがリボン内に書かれている。[[マイカー]]のリア[[バンパー]]などに貼られていることが多い
 
黄色いリボンにこのような意味づけをする[[軍歌]]は古くから知られていたが、今日のような使われ方のきっかけは、1979年の[[イランアメリカ大使館人質事件]]の際、[[ケンタッキー州]]{{仮リンク|リッチフィールド (ケンタッキー州)|label=リッチフィールド|en|Leitchfield, Kentucky}}の婦人会で、人質の無事帰還を願って街路樹に黄色いリボンを結んだり、身につけたりしたものである。これが[[アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー|ABCテレビ]]のニュース番組で取り上げられ、全国的に黄色いリボンの掲示が行われるようになった。
 
[[湾岸戦争]]の際には、派遣軍人に対する連帯として「Support Our Troops」というメッセージ付きで掲げられるようになり、その後も地上軍の投じられる戦争の度に用いられる。[[マイカー]]のリア[[バンパー]]などに貼られていることが多い。
 
== シンガポールにおける意味 ==