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また、[[京都御所]]の築地塀が鬼門、北東方位が凹ませてあることから、御所ですら鬼門を避けている、除けていると考えられ、それから鬼門を除ける手法とされてきたことにある。建築家清家清著 現代の家相には、家相の教え通りに凹ませていると書かれている。
 
しかし、NHKブックス発行の建築歴史学者、(東京工業大学教授、名古屋工業大学名誉教授)[[内藤昌]]の著書「城の日本史」によると、[[安土城]]、[[丹波福知山城]]、[[安土城]]を真似たといわれる[[岡山城]]にも、地階、もしくは一階の東北部、すなわち鬼門方位に厠(トイレ)を設けることが当時の常道であったと書かれており、姫路城などでは、鬼門だけでなく裏鬼門である、南西隅にも厠が配置されていたと記述されており、当時は建物の対角線からみた中心点を基準とした鬼門方位に厠を設けることを単純に嫌っていたわけでないことが記載されており、一般的に伝えられている家相とは違い、あえて鬼門方位に厠を作ることを常道として築城は行われていたことが興味深いと研究されている。
 
==時代変遷==