「ツォルフェアアイン炭鉱業遺産群」の版間の差分

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== 歴史 ==
=== 1847年 - 1890年 ===
ツォルフェアアイン炭鉱は、[[デュースブルク]]生まれの企業家{{仮リンク|フランツ・ハニエル|de|Franz Haniel|fr|Franz Haniel}}(Franz Haniel, 1779年-1868年)によって設立されたものである。ハニエルは、[[製鉄業]]のためにコークスを捜し求めていた。彼がカターンベルク地方(Katernberg, 現在の[[エッセン]]郊外)の[[:de:Schönebeck (Essen)|Schönebeck]]を試掘してみた結果、そこに膨大な[[石炭]]層が眠っていることが明らかになった。この石炭層は、 [[1834年]]に結成された[[ドイツ関税同盟]](ツォルフェアアイン)にちなんで後に「ツォルフェアアイン」と名づけられた。
1847年にハニエルは天然資源採掘を目的とする[[プロイセン]]独特の企業体であるツォルフェアアイン鉱業会社 (bergrechtliche Gewerkschaft Zollverein) を設立し、新会社の分け前を家族や該当地域の地主たちとの間で分配した。
 
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1857年にはコークスの生産のために木炭を積み上げたもの (charcoal piles) を用い始め、1866年には近代的なコークス炉や機械炉 (machine ovens) を使うようになった。
 
1880年に第3採掘坑の掘り下げが ''SchonnebeckSchönebeck'' に隣接する場所で行われた。この採掘坑は螺旋状の塔として[[鉄骨]]が採用され、1883年に開かれた。1890年までに3つの採掘坑からは100万トンが産出されており、ツォルフェアアインはドイツの全鉱山の頂点に立った。
 
=== 1890年 - 1918年 ===
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[[第二次世界大戦]]による被害は少なく、1953年には産出量が 240万 t に回復している。その後も施設の改修が進められ、1961年には西側の用地で新たな[[コークス]]工場が操業を開始した。1日に1万トンの石炭をコークスにする能力がある、ヨーロッパ最新鋭の施設であったが、後にヨーロッパの鉄鋼業が衰退し、コークスの需要が減少したため、1993年7月末で停止されている。
 
1968年からは経営が{{仮リンク|RAG AG|de|RAG Aktiengesellschaft|en|RAG AG|label=ルール石炭会社}}({{lang|de|Ruhrkohle AG}})に移され、操業が継続された。しかし、1983年に操業を停止する方針が決定され、1986年12月23日を最後に、操業が止められた。その後も操業が継続されたコークス工場も、1993年に停止されている。
 
=== 産業遺産への転換 ===