「ミラクルパワーコンビ」の版間の差分

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[[1984年]]末、全日本プロレスが新日本プロレスを退団した[[長州力]]らにより設立された[[ジャパンプロレス]]と業務提携したため、主力外国人によるメインイベントが減少化の傾向にあったこと、また初来日の[[ロード・ウォリアーズ]]のファイトマネーが自分より高額だったことに不信感を抱いたブロディは、[[1985年]]3月に全日本プロレスを離脱して新日本プロレスに移籍。翌月末、ハンセンとブロディは[[オーストラリア]]に遠征してロン・ミラー&[[マーク・ヤングブラッド]]などのチームと対戦しているが<ref name="g18"/>、同年をもってミラクルパワーコンビは事実上の解散となった。
 
後にブロディは全日本プロレスに復帰するが、[[1987年]]の最強タッグでは、ハンセンは[[テリー・ゴディ]]、ブロディはジミー・スヌーカをパートナーに別チームとしての参加であった。翌年7月にブロディが急死したことで、この年の双方のチームによるタッグマッチが、日本における最初で最後の両者の対戦となった(アメリカでは[[1983年]]2月7日、[[ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング]]の[[ウェストバージニア州]][[チャールストン (ウェストバージニア州)|チャールストン]]での興行にて、ハンセンは[[トミー・リッチ]]、ブロディは[[バズ・ソイヤー]]と組んでタッグマッチで対戦し、引き分けている<ref>{{cite web|url=http://www.georgiawrestlinghistorywrestlingdata.com/cards-results/1980s/1983-1index.htmlphp?befehl=shows&show=130521|title=GeorgiaGCW Wrestlingat History Cards & ResultsCharleston 1983/02/07|accessdate=20122014-0809-2609|publisher=Georgia Wrestling HistoryWrestlingdata.com}}</ref>)。
 
なお、このチームは日本マットでピンフォール負けしたことは一度もない。
 
== エピソード ==
* [[ジャイアント馬場]]は生前、「[[ウィリアム・アフィルス|ディック・ザ・ブルーザー]]&[[クラッシャー・リソワスキー]]組より超獣コンビの方が上、プロレスが生誕して以来史上最強のタッグチーム」と評していた<ref>バップビデオ  ジャイアント馬場 ザ・ベスト・オブ・ザ・ベスト VOL.5 ~スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディ組~</ref>。
* ライバルである[[ジャンボ鶴田]]は、ミラクルパワーコンビと[[ロード・ウォリアーズ]]のどちらが強かったかというファンからの質問に対して、ミラクルパワーコンビの方が強かったと答えている<ref>週刊ゴング 平成15年3月22日増刊号 プロレスBESTタッグチーム「名勝負100」</ref>。また、当のブロディ、ハンセンはシングルプレイヤーとしても突出している自分たちと、タッグチームとしてのみ存在価値を持っているロード・ウォリアーズでは比較にならないとコメントすることが多かった{{要出典|date=2009年10月}}。また[[天龍源一郎]]も「ミラクルパワーコンビはレスリングも出来たし、30分、1時間といった試合も十分こなせた。だがウォリアーズにはそれは出来なかっただろう」と語っている{{要出典|date=2009年10月}}。
* 日本におけるこのコンビの入場テーマ曲はハンセンの「サンライズ」とブロディの「[[移民の歌]]」を合体(何度も交互に流れるように編集)させたものであり、「ミラクルパワーコンビのテーマ」「超獣コンビのテーマ」などと呼ばれた。また、二人とも同格であるということを意識して、リング・アナウンサーによる選手紹介の順番は必ず日替わりでどちらかが先に呼ばれることになっていた(通常、タッグでは最後に紹介される選手がチームリーダーであることが慣例)。