「中西悟堂」の版間の差分

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== 生涯 ==
=== 幼少・青年期 ===
[[1895年]](明治28年)、[[石川県]][[金沢市]]の長町に生まれ富嗣と命名される。祖父は[[加賀藩]]士<ref name=iguchi>[http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/study/inokuchitetsuro.html 科学者の文藝 ─評伝・石川県出身の三人─]井口哲郎、日本ペンクラブ、Jan. 23, 2002</ref>。父親は海軍軍楽隊教官だったが、悟堂の生後まもなく父母がし、母は実家に帰ったまま行方不明となり、父の兄である伯父・悟玄の養子となる<ref name=iguchi/>。[[1900年]]、5歳で麻生区飯倉町の小暮小学校に入学<ref name=iguchi/>。[[1907年]](明治40年)、養父と祖母とともに神代村(現在の[[東京都]][[調布市]])の祇園寺に移住。[[1911年]](明治44年)、[[深大寺]]にて僧籍につく。悟堂とはこの時の法名。翌年、[[天台宗]]学林2年に入る。この頃より短歌を始める。次第に詩人と交わるようになり、その関心は短歌から詩へ移る。放浪したり僧務をこなしつつ詩壇に入り、[[1922年]](大正11年)、第一詩集『東京市』を出版。その後詩集『花順礼』、『武蔵野』を出版。
 
=== 野鳥観察の世界へ ===
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*[http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1247.html 松岡正剛 『千夜千冊』【1247夜】中西悟堂 『かみなりさま』]  「中西悟堂」の生涯とその文明批評について。
*[http://wwwd.pikara.ne.jp/ecotrust/nakanishigodoukyoukai.htm 中西悟堂協会 事務局:(社)生態系トラスト協会内]
 
==脚注==
 
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