「黒田長礼」の版間の差分

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== 人物 ==
[[東京府]][[東京市]]赤坂区福吉町(後の[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[赤坂 (東京都港区)|赤坂]])生まれ。[[黒田長政]]から数えて筑前福岡藩[[黒田氏|黒田家]]14代目にあたる。自邸内に広大な日本庭園があり、植栽や鴨池があったため、幼時より鳥類、植物に親しんで育つ。日本における分類生物学の草分けのひとりであり、[[中西悟堂]]、[[内田清之助]]、[[鷹司信輔]]、[[山階芳麿]]とともに[[日本野鳥の会]]の設立発起人となり会頭となる。また、[[渡瀬庄三郎]]、[[田子勝彌]]、[[内田清之助]]、[[小林桂助]]、[[岸田久吉]]とともに戦前の[[日本哺乳類学会|日本哺乳動物學會]]を設立する。[[絶滅]]種である[[カンムリツクシガモ]]、[[ミヤコショウビン]]が新種として認定されたのは長礼の功績が大きい。『鳥類原色大図説 全3巻』(1933-1934)や『ジャワの鳥』(2巻 1933-1936)、 Parrots of the World in Life Colours(1975)などの30冊以上の著書があり、ブックメーカーと呼ばれた。また、長礼と茂子夫人は黒田家に伝わる宝物、美術品の多くを[[福岡市]]などの自治体や元家臣の家に寄贈した。(黒田什宝故実、実録等に記述はあるが、行方が解らない物も多く幕末から明治、昭和に入り散逸している。名刀『菊一文字』は皇室に献上され、黒田家重宝『大坂夏の陣図屏風』は経緯が不明ながら大阪市の所蔵となった。)
 
== 年譜 ==