「ケビン・ラッド」の版間の差分

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射法訓 (会話 | 投稿記録)
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== 首相退任後 ==
[[ファイル:Yasuo Fukuda and Kevin Rudd 201107.jpg|thumb|200px|[[2011年]][[7月]]、[[ボアオ・アジア・フォーラム]][[理事長]][[福田康夫]](左)と]]
2010年9月に発足した第2次[[ジュリア・ギラード|ギラード]]内閣において外務大臣に就任した<ref>{{Cite news
|url=http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100911-OYT1T00602.htm
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|accessdate=2013-03-23
}}</ref>。
 
== 首相再登板 ==
[[2013年]]6月26日に、[[オーストラリア労働党]]臨時議員総会で執行された[[党首]]選挙でギラードを下して党首に返り咲いた<ref Name="AUS">[http://sankei.jp.msn.com/world/news/130626/asi13062620580002-n1.htm ギラード首相が党首選で敗北、退陣表明 ラッド氏返り咲き 豪労働党] 産経新聞 2013年6月26日閲覧</ref>。この結果を受けてギラードが首相を辞職したことにより<ref Name="AUS"/>、2013年6月27日に再び[[オーストラリアの首相|首相]]に就任、[[第2次ラッド内閣|第2次ラッド政権]]を発足させた<ref>[http://sankei.jp.msn.com/world/news/130627/asi13062721080002-n1.htm ラッド氏が豪首相に就任 総選挙に勝てるか-党の信頼回復がカギ] 産経新聞 2013年6月27日閲覧</ref>。しかし、ギラードとの内紛により労働党は国民の支持を失い、2013年9月7日に行われた総選挙では保守連合に敗北、6年ぶりの政権交代を許す結果となった<ref>{{Cite news