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同年の9月には西域で反乱が勃発し、12月には実父の清河王が死去した。
 
[[永初 (漢)|永初]]([[107年]])元年、2月には清河国が分割される一方、9月には鄧氏の母の陰氏に新野君が与えられた。この月に[[西域都護]]が廃止された。秋9月、太尉の[[徐防]]、司空の[[尹勤]]が免職され、[[張禹]]と[[周章]]が後任とされるが、11月には周章が帝位の廃立を目論んだとして誅殺された。この間、10月には[[倭]]国から王[[帥升]]の使者が来訪謁見ている生口160人を献じた。12月、司空の後任として[[張敏]]が迎えられた。
 
=== 天災と反乱 ===