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== 略歴 ==
父は第10代[[執権]]の北条師時。母は不詳。正室は[[北条氏 (赤橋流)|赤橋北条家]]の[[北条久時]]の娘で、[[室町幕府]]の初代将軍である[[足利尊氏]]とは相婿で義兄弟である。「貞」の字は父・師時の義兄弟および正室の父にあたる[[北条貞時]]から[[偏諱]]を受けたものとみられる<ref>生誕年から算出される[[元服]]の年はおおよそ[[1307年]]-[[1312年]]およびこの前後であり、この期間に得宗家当主であった貞時([[1311年]]死去)と[[烏帽子親子]]関係を結んだものとみられる。この時代は「[[征夷大将軍|将軍]]→御家人」という偏諱の授与の図式は存在せず(得宗家と赤橋北条家は除く)、「得宗(貞時)→御家人」という形で偏諱(「貞」の字)が下賜される図式が成立していたことが研究で指摘されており(角田朋彦 「偏諱の話」(再興中世前期勉強会会報『段かづら』三・四、2004年、p.21)、貞規もこの対象者であったと考えられる。</ref>。
父は第10代[[執権]]の北条師時。母は不詳。正室は赤橋北条家の北条久時の娘で、[[室町幕府]]の初代将軍である[[足利尊氏]]とは相婿で義兄弟である。
 
[[文保]]元年([[1317年]])に[[引付衆]]1番頭人に任命される。その2年後に22歳の若さで死去した<ref name="北条氏p177">北条氏研究会、2001年、p.177</ref><ref name="北条氏p178">北条氏研究会、2001年、p.178</ref>。