「オットー・ヴィッテ」の版間の差分

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またヴィッテは[[1925年ドイツ大統領選挙]]に出馬し25000-230000票を獲得したが、有力候補であった[[ヒンデンブルク]]を支援するため2回目の投票を辞退したとも主張している。この件に関してもヴィッテの主張を支持する開票結果は現在のところ見つかっていない。<ref>彼に虚言症があった可能性も指摘されている</ref>
 
===ドイツ国内外の認知===
ヴィッテについては当時からドイツ国内で広く知られていた。のちにベルリン警察は公式の身分証明書に元アルバニア王の称号を記載することを許可している(ただし真偽の確認が取れないためか芸名としてであったが)。またヴィッテの語った「体験談」は小説の題材にもなっている。<ref>もっともヴィッテ自身の「体験談」もベストセラー小説の影響を受けた可能性が指摘されている</ref>
 
===新聞と雑誌において=の報道==
歴史学的な検証結果とは対的に雑誌や新聞はヴィッテの話を事実としてこれまで繰り返し取り上げているきた。例えば[[タイム誌]]はヴィッテの死に際して「元アルバニア王オットーヴィッテ1世(Otto I, ex-King of Albania)が87歳での崩御した際、その死を悼む記事を掲載した。
 
==脚注==
<references />