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[[File:Monpa boy.jpg|thumb|180px|メンパ族の少年]]
'''メンパ族'''(门巴 mén bā)はチベット系の民族のこと。主に[[チベット自治区]]の[[墨脱メトク県|メトク]]、[[林芝ニンティ県|ニンティ]]、[[錯那ツォナ県|ツォナ]]などに居住する。一部は[[メド地区]]に住んでいる。
 
== 概要 ==
[[シナ・チベット語族]][[チベット・ビルマ語派]]に属する[[門巴メンパ語]]を話す。門巴メンパ語は大きく“[[錯那門巴語]]”と“[[墨脱門巴語]]”の2方言に分けられる。“錯那門巴語”は、達旺を中心とした[[門墨]]地区で使われる4方言の1つであり、“墨脱門巴語”は、おもに主目と自称する門巴メンパ族が話す[[倉洛語]]に属している。これらの言語は、音声、語彙や語法の構造がそれぞれ異なり、互いの日常会話は不可能。自民族の文字がなく、[[チベット文字]]が通用している。
 
メンパ(門巴)族の総人口は4万人余りだが、大部分は[[中国]]・[[インド]]国境地帯の東部[[マクマホン・ライン]]以南のインド側に居住しているため、現在中国領内に居住する門巴メンパ族は7498人しかいない。
 
門巴メンパとは“[[門隅]]に住む人”という意味で、その意味のとおり門巴メンパ族の祖先が住んでいた地域は、チベット自治区[[門隅]]南部の[[門隔]]地区で、約200年前、一部の人々がチベット自治区[[墨脱メトク県]]まで東へ移動した。
 
西暦800年頃、[[ラサ]]の[[チョカン寺]]に建てられた石碑に記されている“[[孟族]]”が門巴メンパ族の[[祖先]]とされている。
門隔地区は、7世紀[[吐蕃]]王国の支配下に入り、13世紀に[[チベット]]の一部分となり中国の版図に組み込まれた。
門巴メンパ族は封建農奴制度の下で[[チベット族]]の制圧を受け、経済や宗教、文化など多方面に影響が及んでいる。
 
メンパ族では、伝統的には焼畑農業が行われていたが、現在は常畑農業に従事し、牧畜や手工芸も兼業している。
 
メンパ族はチベット族同様、[[チベット仏教]]を厚く信仰しており、[[ラマ僧]]として出家する人も多い。これまでに第6世[[ダライニフマラマ6世]]ツァンヤンギャムツォ]]など高僧を出したこともある。
 
== 関連項目 ==