「ビーア・カルロフ・ドーニア」の版間の差分
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==生涯==
元は[[農民]]の父と[[貴族]]の母の間に生まれた農民であった。[[ゲオルク (ザクセン公)|ザクセン公ゲオルク]]が内乱を抑える為に置いた悪名高い傭兵隊「[[ランツクネヒト]]Black Band」連隊により、1515年に妻を無残に殺害され村を焼かれたことから貴族や仲間たちと共に反乱軍を結成した。彼はいくつもの戦いで勝利したが、[[ハプスブルク家]]の攻勢は止まらず、1519年にWierd Jelckamaに部隊の指揮を引き継ぎ引退した<ref>Kok, Jacobus (1791). "Pier Gerlofs Donia". Vaderlandsch Woordenboek. 24 (P–R). Amsterdam: Johannes Allart. pp. 17–21.</ref>。1520年10月28日、ピアーは[[フリースラン
==民話==
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