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Tan90deg (会話 | 投稿記録)
→‎歴史に見る識字教育: 「無筆者」の語について補足説明
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|岡山県||1887年||65.64||42.05||54.38
|}
ただし近世の正規文書は話し言葉と全く異なる特殊文体によって書かれ、かなりの習熟が必要であった。近世期「筆を使えない者」を意味する「無筆者」とは文書の作成に必要な漢字を知らない者を意味しており<ref name="ordinance_of_immigration_act_article55">2014年現在でも、[[出入国管理及び難民認定法]]施行規則第55条において、「'''無筆'''''、身体の故障その他申請書を作成することができない特別の事情がある者''」の口頭申請を認める規定があり、法令用語として「無筆」が使用されている。</ref>、簡単なかなを読めることはどの庶民の間でも常識に属し、大衆を読者に想定したおびただしい平仮名主体の[[仮名草子]]が発行されていた。
 
義務教育開始以前の文字教育を担ったのは[[寺子屋]]であり、かなと簡単な漢字の学習、および算数を加えた「読み書き算盤」は寺子屋の主要科目であった。寺子屋の入門率から識字率は推定が可能であるが、確実な記録の残る[[近江国]]神埼郡北庄村(現・[[滋賀県]][[東近江市]])にあった寺子屋の例では、入門者の名簿と人口の比率から、幕末期に村民の91%が寺子屋に入門したと推定される<ref name="jisho"/>。