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全国的に藩校が設立された時期は[[宝暦]]期([[1751年]]〜[[1764年]])以後であり、多くの藩が[[藩政改革]]のための有能な人材を育成する目的で設立した学校が多い。また[[柳河藩]]や米沢藩のように江戸時代中期頃に藩の儒臣の自宅につくられた孔子廟や講堂を江戸時代後期に移転、拡大し藩の役職に藩校関係職を設立して藩営化して藩校とする場合も見られる。
 
各地では優秀な学者の招聘も盛んに行われた。発展期には全国に255校に上り、ほぼ全藩に設立された。藩校の隆盛は、地方文化の振興や、各地域から時代をリードする政治家や学者人材等の輩出<!--例:鹿児島の造士館、水戸の弘道館など-->にも至った。代表的な藩校としては、[[会津藩]]の[[日新館]]、[[米沢藩]]の[[興譲館]]、[[水戸藩]]の[[弘道館]]、[[長州藩]]の[[明倫館]]、[[中津藩]]の[[進脩館]]、[[佐賀藩]]の[[弘道館 (佐賀藩)|弘道館]]、[[熊本藩]]の[[藩校時習館]]、[[鹿児島藩]]([[薩摩藩]])の[[造士館]]などが有名である。特に薩長の雄藩では教育においても優位に立っており、薩長土肥の連合において有力な人材を輩出した
 
また、[[越後長岡藩]]の就正館([[文政]]13年([[1831年]])、「長岡市史」)や長州藩の有備館([[天保]]12年([[1841年]])、「萩市史」)のように藩内だけでなく[[江戸藩邸]]内にも藩校を開設した藩も存在する。