「ラオコーン像」の版間の差分

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『ラオコーン像』が発掘されたときにはラオコーンの右腕や左右の息子たちの腕や手は損壊し、失われていた。当時の芸術家や鑑定家たちは、失われた腕がもともとどのような形だったのかを議論している。ミケランジェロは、ラオコーンの右腕は肩を越えて背中に回っていたのではないかと考えた。逆に、右腕は大きく広げられている方が英雄の像としては相応しいとする者もいた。教皇は非公式なコンテストを企画し、失われた腕がどのようなものだったかの案を彫刻家たちに命じて、[[ラファエロ・サンティ|ラファエロ]]に審査させている。その結果、ラオコーンの右腕は大きく伸ばされた状態が相応しいと判断され、新しく伸ばされた腕の状態で修復された。
 
1906年に考古学者・美術商でバッラッコ美術館長{{仮リンク|ルーヴィヒ・ポラック|en|Ludwig Pollak}}が、ローマで大理石で出来た右腕の破片の彫刻を発見する。『ラオコーン像』と様式が似ているとしてバチカン美術館に右腕の彫刻を持ち込んだが、バチカン美術館はその右腕を半世紀にわたって放置していた。1950年代になってからバチカン美術館は、この右腕がオリジナルの『ラオコーン像』のものであり、ミケランジェロが推測したように右腕は曲がっていたという鑑定結果を出した。彫像は一旦解体され、この曲がった右腕が新しく取り付けられて再び組み直された<ref>See {{citation|last=Beard|first=Mary|newspaper=Times Literary Supplement|title=Arms and the Man: The restoration and reinvention of classical sculpture|date=2 February 2001|url=http://tls.timesonline.co.uk/article/0,,25829-2465943_2,00.html}}. Beard, in fact, is highly sceptical of the identification, noting that ‘the new arm does not directly join with the father's broken shoulder (a wedge of plaster has had to be inserted); it appears to be on a smaller scale and in a slightly differently coloured marble’.</ref>。このとき、以前の修復で取り付けられた二人の息子の腕と手は再び除去されている。
 
この彫像には多くのコピーが存在しており、有名なものにロドス島の[[マルタ騎士団]]本部の彫像がある。現在もラオコーンが腕を伸ばしている、以前の状態でのコピーがあるが、ロドス島の彫像はバチカンでの修復にあわせて変更されている。