「フランクリン・ピアース」の版間の差分

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==経歴==
ピアースはハンコックとフランセスタウンの専門学校に入学した。その後[[フィリップス・エクセター・アカデミー|フィリップス・エクセター大学進学予備校]]に入学し、1824年に[[メイン州]][[ブランズウィック (メイン州)|ブランズウィック]]のボードン大学を卒業した。彼は法律を学び、1827年にヒルスボローで法曹界に入り弁護士業を始めた。1829年から1833年まで州立法議会のメンバーで、1832年から1833年まで議長を務めた。その後第23と第24議会(1833年3月4日 - 1837年3月3日)への民主党議員に選出された。続いて上院議員に選出され、1837年3月4日から1842年2月28日まで同職を務めた。彼は第26議会で年金委員会の議長だった。
上院議員職後、ピアースはコンコードで法律業務を再開した。彼はニューハンプシャー州の地方検事で、[[ジェームズ・ポーク]]大統領によって任命された司法長官職を断わった。[[米墨戦争]]が始まると彼は大佐として従軍し、准将に昇進した。1850年にはニューハンプシャー州憲法制定会議の議長を務めた。