「臨時台湾旧慣調査会」の版間の差分
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== 本調査会の組織 ==
本調査会は、民政長官が任じる会長と、その下に内務大臣の秦請により内閣において任命される委員と、調査事務を補助する補助委員に若干名の書記および通訳から組織された。本調査会は2部に分かれ、第1部は法制を、第2部は農工商経済の旧慣習を調査するとされた<ref name="yoshikawa"/>。第1部の部長は岡松参太郎が任命されている。これに対し、第2部については、1902年(明治35年)度において、[[愛久澤直哉]]、波多野高吉、[[宮尾舜治]](淡水税関長を兼任)と3人が任命されている。ちなみに、同年度の台湾総督府職員録には、それぞれの部長の年手当についてまでも記録がある。それによると、岡松と波多野の年手当は1800円であり、愛久澤のそれは、彼が専売局製薬課嘱託を兼ねていたこともあってか3000円と破格であった<ref>明治35年度台湾総督府職員録第21ページ</ref>。
== 本調査会第1部の活動と成果 ==
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== 本調査会第2部の活動と成果 ==
上記の成果を上げた第1部に対して、第2部は、予期された調査の成果を上げられなかった。1904年には調査を中止し、わずかに2冊の「第2部調査経済資料報告」を刊行したのみで業を終えた。1905年(明治38年)6月の訓令により組織の改組が行われ、これまでの第2部の調査事項は第1部に吸収された。新第2部は「南清に連絡を有する農工商経済に関する調査」を担当することとされたが、こちらも見るべき成果を上げていないと
== 脚注 ==
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