「ネコ2世」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
m編集の要約なし
37行目:
[[紀元前609年]]、滅亡寸前の[[アッシリア]]の残存政権を支援する遠征の途上、ようやくアッシリアの影響を排除して[[ユダ王国]]の独立に成功していた[[ヨシヤ]]王を[[メギドの戦い (紀元前609年)|メギドの戦い]]で敗死させ、ユダをエジプトの貢納国とすることに成功し、[[エジプト]]の[[シリア]]・[[パレスティナ]]地方への覇権を回復した。しかし、[[紀元前605年]]、アッシリアを滅ぼして[[メソポタミア]]に覇権を唱えた新興の[[新バビロニア]]の初代王、[[ナボポラッサル]]に差し向けられた王子、ネブカドネザル(後に即位して[[ネブカドネザル2世]])の軍に{{仮リンク|カルケミシュの戦い|en|Battle of Carchemish}}で敗退し、シリア・パレスティナ地方の覇権を奪われた。ただしこの戦の前後にナボポラッサルが没したため、ネブカドネザルの軍は帰国し、エジプト本国の蹂躙は免れた。
 
アジア地区のエジプト旧領を、ネブカドネザルが「[[ユーフラテス川|ユーフラテス]]から[[エジプトの川|エジプトの小川]]に到るまで」(『[[旧約聖書]]』「[[エレミヤ書]]」46:2、「[[列王記]]」2 23:29)回復したため、アジアへの軍事的覇権伸張政策を放棄することを余儀なくされた。[[紀元前601年]]、アシュカロンでバビロニアに対する叛乱が起こったとき、エジプトに支援の申し入れがあったが、エジプトは援軍を送らず、バビロニアに対して東の国境を防御するにとどまった。
 
敗戦後は貿易に力を入れ、またギリシア人との関係を強化した。[[ナイル川]]から[[紅海]]まで[[運河]]を引こうとしたが、完成しなかった。また彼は、[[フェニキア]]人に命じてアフリカ周航を行わせたという、[[ヘロドトス]]が『[[歴史 (ヘロドトス)|歴史]]』の中で伝える逸話によっても知られている。