「カロデンの戦い」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
11行目:
|combatant1=イギリス軍
|combatant2=[[ジャコバイト]]
|commander1=[[ウィリアム・オーガスタス (カンバーランド公)|カンバーランド公ウィリアム・オーガスタス]]
|commander2=[[チャールズ・エドワード・ステュアート|チャールズ若僭王]]
|strength1=9,000+
18行目:
|casualties2=死亡1,250<br>負傷1,000<br>捕虜558
|}}
'''カロデンの戦い'''([[:en:Battle of Culloden|Battle of Culloden]])は[[1746年]][[4月16日]]に[[スコットランド]]の[[ハイランド地方]][[インヴァネス]]近郊のカロデン湿原([[ムーア (地形)|ムア]])において、[[ジャコバイト]]軍と[[グレートブリテン王国]](以下[[イギリス]]又は英国と表記)軍との間で行われた戦いである。[[日本語]]では「カロデン・ムアの戦い」「カロドンの戦い」「カロドン・ムアの戦い」とも表記される。 この戦いでジャコバイト側は完敗、[[ブリテン島]]でのジャコバイト運動はほぼ鎮圧されその組織的抵抗は終わりを告げた。また、戦闘終了後に[[イギリス陸軍|イギリス政府軍]]総司令官[[ウィリアム・オーガスタス (カンバーランド公)|カンバーランド公ウィリアム・オーガスタス]]がジャコバイト軍の敗残兵に加えた[[虐殺]]は後世長く[[スコットランド人]]の対[[イングランド]]感情に影を落とした。
 
== 前哨戦 ==
[[1745年]]、英国王位の[[王位請求者]]であるチャールズ若僭王こと[[チャールズ・エドワード・ステュアート]]は[[フランス王国|フランス]]の後押しを受けてスコットランドに上陸。[[ハイランド地方|ハイランド]]の[[氏族]]たちを集め、王位[[簒奪]]の兵をおこした。ジャコバイト軍は[[エディンバラ]]を占領、いまだ本格的な反撃態勢を整えられずにいる政府軍の微弱な抵抗を立て続けに破っていった。[[11月8日]]、ジャコバイト軍はスコットランド南部国境を突破しイングランドへ侵攻、[[シティ・オブ・カーライル|カーライル]]、[[マンチェスター]]およびさらに[[ダービー (イギリス)|ダービー]]へと軍を進めた。もっともこのままブリテン島全土を軍事制圧できるとはさすがにチャールズは考えておらず、あくまで[[ジョージ2世 (イギリス王)|ジョージ2世]]を[[ハノーファー]]に追いやるための示威行動であったと考えられている。
 
チャールズはフランスに援軍を乞いつつ、イングランドで蜂起を呼びかけた。しかし[[イギリスのカトリック|イングランドでは厳しい差別に晒されていた]][[カトリック]]教徒であるチャールズの呼びかけを民衆はほぼ黙殺、さら[[11月]]末なってフランス艦隊の到着が援軍800人見ないまま上陸させたが、一方でカンバーランド公率いる政府軍出撃の報が届いた。やむを得ずジャコバイト軍はスコットランド北方に退き[[グラスゴー高地地方]]で態勢の立て直しをはかった。いっぽうイギリス政府軍は翌[[1746年]][[1月30日]]にエジンバラを奪還、さらに[[アバディーン]]にまで北上後進軍を一旦停止、ジャコバイト軍の動静を窺った。
 
== 会戦前夜の両軍の情況 ==
=== ジャコバイト軍 ===
チャールズ率いるジャコバイト軍はその75%が[[ハイランダー|ハイランド人]]で占められていた。かれらの装備は貧弱で、[[銃]]や[[大砲]]はおろか[[剣]]や[[槍]]などを加えても武装しているといえる兵員は全体の2割程度であった。他の者は農具や棍棒など有り合わせのものや[[鹵獲]]した武器を携えていた。彼らはおおむね[[カトリック教会|カトリック]]教徒であった。11月末になってようやくフランス艦隊が援軍800人を上陸させたが、彼らの武装も士気もまた貧弱だった。
 
=== 政府軍 ===
33行目:
 
== 戦闘 ==
1746年[[4月14日]]、カンバーランド公率いる政府軍主力8000はアバディーンを出撃しネアンに到着した。ジャコバイト軍は数十キロ南西の[[インヴァネス]]にいたが、政府軍の接近に対して無警戒であり、一報が届くや糧食その他の荷物もそのままに出撃、インヴァネス東方のカロデンからドルモーシーにかけての湿原(ムア)に布陣した。当地は平坦で固い地盤の土地なので、騎兵の行動に有利であり、大砲は移動しやすく威力も発揮しやすかった。このことは、騎兵や大砲が少ないジャコバイト軍には不利であった。[[ジョージ・マレイ]]将軍らチャールズの部下たちは正面決戦の不利を説き、[[ゲリラ戦]]への移行を進言したがチャールズは受け入れなかった。
 
[[4月15日]]、ジャコバイト軍は政府軍陣地に夜襲を敢行すると決したが、物資を全て置き捨てて出撃してきたジャコバイト軍は早くも飢えに瀕しており、各部隊は何ら行動に移れないまま時間だけが過ぎていった。翌[[4月16日]]、夜が明け政府軍が動き出した。折しも豪雨になり、風下のジャコバイト軍は進退はおろか前方から叩き付ける雨に顔を上げて戦列を整えることすら苦心する有り様であった。