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|pop4 = 500
|langs=[[フェロー語]]<br />[[アイスランド語]]、[[ノルウェー語]]、[[スウェーデン語]]、[[デンマーク語]]、[[ゲルマン語]]。
|rels = {{仮リンク|フェロー諸島の教会|label=フェロー諸島のルーテル教会|en|Church of the Faroe Islands}}<br />{{仮リンク|ノース異教|en|Norse paganism}}、[[ケルト系キリスト教]] (- 1000)<br />[[カトリック教会]] (1000 ~ 1538)
|related=[[アイスランド人]]、[[ノルウェー人]]、[[スウェーデン人]]、[[ドイツ人]]、[[デンマーク人]]、[[シェトランド諸島|シェトランド人]]、{{仮リンク|オークニー人|en|Orcadians}}、[[アイルランド人]]、[[スコットランド人]]<br>[[ゲルマン人]]、[[ケルト人]]
}}
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その後、およそ650年頃に{{仮リンク|ノース=ゲール人|en|Norse-Gaels}}が到来、島々にノースの文化や言語を伝えた。与えられる余地は推定のみでこの期間についてはほとんどわかっていない。唯一の出典であるアイスランドの『{{仮リンク|フェロー諸島の人々のサガ|en|Færeyinga Saga}}』は早期の定住について言及している。それは大体1200年頃に書かれており、約300年前頃に起きた出来事を説明している。[[サガ]]によると多くのノース人はノルウェー王の政治統一に反対した、斯くて、新発見した西方の陸地を含め、他の国々に逃れた。
 
歴史家達は[[ヴァイキング]]である{{仮リンク|グリーム・カンバン|en|Grímur Kamban}}が最初のフェロー諸島移住者だったことを『フェロー諸島の人々のサガ』によって理解している。ノルウェー人はノルウェーを離れる以前から諸島について知っていた。 グリーム・カンバンが早い時期に定住していた場合、ノルウェー人が諸島について知っていたことを説明できる。別のより多くの論理的な解釈に、ノルウェー人はスコットランドおよびアイルランドのゲール人により島について認識するようになっただろう。
 
グリームは[[古ノルド語]]の名前であり、カンバンは[[ケルト語]]起源を示している。従って、彼は既にヴァイキングの集落があったアイルランド、[[アウター・ヘブリディーズ]]あるいは[[マン島]]あたりから、来た人物だった。フェロー諸島最古の定住地の地名のいくつからおそらくは移住者の一部はスコットランドの島々とイギリス沿岸あたりから渡って来たことを示唆している。
 
最近、行われた[[デオキシリボ核酸|DNA]]分析で、男性系統をたどることができるY染色体では約87%が[[スカンディナヴィア]]系であることを明らかにした<ref>{{Cite doi|10.1007/s00439-004-1117-7}}</ref>。また、女性系統をたどる[[ミトコンドリア]]DNAの研究では、約84%が[[ケルト]]系であることを示している<ref>Wang, C. August. 2006. Ílegur og Føroya Søga. In: ''Frøði'' pp.20-23</ref>。
 
== 関連項目 ==
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</div>
 
{{DEFAULTSORT:ふろおしん}}
[[Category:フェロー諸島]]
[[Category:フェロー人]]
[[Category:ゲルマン]]
[[Category:ケルト]]
[[Category:北欧の民族]]