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=== マリウスの軍制改革 ===
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[[第2次ポエニ戦争]]以降、度重なる[[イタリア半島]]外への外征や属州の拡大により戦争が長期化し、それゆえ長期にわたって離農を強いられた兵士の貧窮化が進んだ(損失補填としての給与はあくまで最低限の生活費のため、とても足りなかった)。特に軍団の中核を担っていた中小自作農の没落によって、ローマ軍団への参加権のある市民の極端な減少が起こった。さらにそれを解決するために募集制限を下げたことで低所得層が増加し、それまでに比べ軍団の質が著しく低下し、また徴兵された自作農は財産を失い無産階級へと転落する例も増えた。一方で、外征によって獲得した土地は実質的に貴族の物となり、大土地所有者が増加し、貧富の差の拡大を招いた。[[元老院 (ローマ)|元老院]]の一部や[[グラックス兄弟]]は、これを農地法などの農民救済策で打開しようとしたが、大土地所有者が多かった元老院では反対が多く、問題解決には至らなかった。
 
この現状を打開するために[[紀元前2世紀]]になると軍隊の叩き上げの人物である[[ガイウス・マリウス]]が[[マリウスの軍制改革|軍制改革]]に着手した。マリウスは[[インペリウム]]を持つ司令官(執政官、[[プラエトル|務官]]など)が指揮できる軍団の数の制限を撤廃、また従来の徴兵制を廃し志願制とした。従来は兵役義務の無かった無産階級が給与を目当てに多数志願する事になり、自作農は兵役から解放され農業に専念でき、双方を救済することができた。
:なお、軍務はローマの政界の出世コースの第一歩である事から、貴族階級や騎士階級の志願兵自体は軍制改革以前から下士官クラス以上には多く見受けられ、改革以降も同様である。一方で共和時代の百人隊長の墓碑の中にも、無産市民を暗示する描写がされているものも見受けられる。