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[[京都府]][[城陽市]]生まれ。1949年[[京都大学]]文学部哲学科卒業、1953年[[京都市立美術大学]]講師、1956年から1957年まで[[ソルボンヌ大学]]民族学研究所に留学。1958年助教授、1969年京都市立芸術大学美術学部教授、1974年大阪大学文学部教授、1975年「美術の始源」で大阪大学[[文学博士]]、1976年[[国立民族学博物館]]併任教授、1989年大阪大学を定年退官、大阪府顧問、1992年[[国立国際美術館]]館長、その後[[兵庫県立美術館]]長。この間世界全域で多くのフィールドワークをおこなう。民族芸術学、近現代美術史を専攻。
 
1966年『カラハリ砂漠』で[[毎日出版文化賞]]受賞、1991年[[大阪文化賞]]、1998年[[勲三等]][[旭日中綬章]]、1999年京都市文化功労者、2001年兵庫県文化賞など受賞。民族芸術学会会長。
 
[[太宰治]]『パンドラの匣』の底本となった日誌の書き手・[[木村庄助]]は実兄であり、[[津島美知子]]から返却された日誌は重信の編纂で刊行された。