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{{出典の明記|date=2014-09}}
{{東洋医学}}
'''按摩'''(あんま)とは、なでる、押す、揉む、叩くなどの手技を用い、生体の持つ[[恒常性]]維持機能を反応させて健康を増進させる[[手技療法]]である。按摩の按とは「押さえる」という意味であり、摩とは「なでる」という意味である。
 
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== 按摩の歴史 ==
[[File:C20 Chinese medical illustration in trad. style; Hand massage Wellcome L0039666.jpg|thumb|right|中国文献に記されたハンドマッサージ]]
先史時代に人々の生活において、自然環境の中で生きていく上で様々な理由によって負傷して瘀痛(疼痛)や腫痛に苦しむ事も少なくなかったと考えられる。そんなときに、人々は自分あるいは仲間の患部を手で撫でたり擦ったりすることによって、外傷による瘀痛を散らして腫れをひかせて痛みを和らげる効果があることを発見した。当時においてはこれも有効な外科治療の一環であり、これが按摩術のルーツであると考えられる。
 
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中国においては[[隋]]の時代には按摩は独立した専門科として扱われるようになった。当時の医師達は按摩を「外邪の滞留を体内から除き、負傷によって体内に侵入する事を防ぐ」方法として内科・外科・小児科を問わずに行われた。朝廷内でも按摩博士、按摩師、按摩生が設置された。[[北宋]]以後においては、按摩の理論的な発展が見られ、『[[宋史]]』芸文志によれば按摩の専門書が書かれたとする記事がある(但し、現存せず)。[[明]]以後には医学における按摩行為を特に「'''推拿'''(すいな)」とも称されるようになった。
 
[[File:Ijl no3 1906 3ed 10 amma-1.jpg|thumb|right|明治時代の按摩師]]
日本には[[養老令]]において、[[唐王朝]]をまねて[[典薬寮]]に、按摩博士、按摩師、按摩生をおいたとされる。この養老令は大宝令と全く同様のものとされるため、少なくともその時代には按摩が存在したと思われる(ただし、法制だけを継受しただけで、実際に古代日本に按摩そのものが伝来したか疑問視する見方もある<ref>丸山裕美子「按摩」『日本史大事典 1』(平凡社)</ref>)。しかし、その当時の按摩と現在のものが、どのような類似性があるのかは不明である。ただ、同時代の文献によると、当時の按摩には現在でいう包帯法も含まれていたと考えられる。
 
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== 推拿 ==
{{Chinese|c=推拿|p=tuī ná|j=teoi<sup>1</sup> naa<sup>4</sup>|l=Push and grasp<ref>{{cite web |url=http://www.acchs.edu/programs/tui-na-mtcp/ |title=Tui Na MTCP |author= |date= |work= |publisher=Academy of Chinese Culture and Health Sciences |accessdate=24 July 2012 }}</ref>|showflag=p|pic=|piccap=Tui na treatment}}
 
中国大陸明代以後、医療行為としての按摩は'''[[推拿]]'''(すいな)と呼称されるようになった。これは日本では'''[[中国整体]]'''と呼称されるものであり、現在の[[中華人民共和国|中国政府]]も公式な[[中医学]]の医療用語として「推拿」を採用している。現在、日本国内の按摩と中国大陸の'''推拿'''は、技法は近似でも用法が全く違うので要注意である。
 
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[[Category:伝統中国医学]]
[[Category:診断と治療]]
[[Category:健康]]
[[Category:マッサージ]]
[[Category:身体技法]]