「宮中三殿」の版間の差分

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例祭=(皇霊殿・神殿)春分日・秋分日}}
 
'''宮中三殿'''(きゅうちゅうさんでん)は、[[皇居]]の三つの[[神殿]]にある、'''[[賢所]]'''(かしこどころ、けんしょ)、'''[[#皇霊殿|皇霊殿]]'''(こうれいでん)、'''[[#神殿|神殿]]'''(しんでん)の総称。[[吹上御苑]]の東南にある。
 
==概要==
一年を通して、<!--[[掌典職]]と呼ばれる[[天皇]]の私的使用人集団に属する--><!--リンク先に詳述-->[[掌典]]([[神職]])と、[[内掌典]]<!--女性-->([[巫女]])が清め護っている。
宮中三殿は、皇居内にある三つの連結された建造物の総称である。それぞれ、[[神道]]の[[神 (神道)|神]]を祀っており、[[宮中祭祀]](皇室祭祀)の中心となる。
 
宮中三殿の構内には、附属するいくつかの建造物が配置されている。[[四方拝]]、[[新嘗祭]]が行われる'''神嘉殿'''(しんかでん)、[[鎮魂祭]]や[[天皇]][[皇后]]の装束への着替えが行われる'''綾綺殿'''(りょうきでん)、[[神楽]]が行われる'''神楽舎'''(かぐらしゃ)、楽師が[[雅楽]]を演奏する'''奏楽舎'''(そうがくしゃ)、列席者が待機する'''左幄舎'''(ひだりあくしゃ)と'''右幄舎'''(みぎあくしゃ)、賢所に正対する'''賢所正門'''、新嘉殿に正対する'''新嘉門'''などである。
毎朝、午前8時から、賢所、皇霊殿では内掌典が、神殿では掌典が、[[清酒]]、[[赤飯]]などを供える「日供の儀」(にっくのぎ)をそれぞれ行い、午前8時30分に、[[宮内庁侍従職]]の当直侍従が、また[[天皇]]が[[行幸]]及び外国旅行で不在でも居残り役の侍従が、賢所、皇霊殿、神殿を天皇に代わって拝礼する「毎朝御代拝」(まいちょうごだいはい)を行う。日供の儀及び毎朝御代拝は、[[廃朝]]や宮中喪が発せられていても欠かさず行われる。
 
宮中三殿では、皇室祭祀のことをつかさどるため、国家行政機関たる[[宮内庁]]の組織とは別の内廷の組織として、'''[[掌典職]]'''が置かれる<ref>{{Cite news |title= 宮中祭祀|newspaper= |date= |author= 宮内庁|url= http://www.kunaicho.go.jp/about/gokomu/kyuchu/saishi/saishi.html|accessdate= 2014-10-02}}</ref>。掌典職は、掌典長の統括の下に、掌典次長・掌典・内掌典などが置かれている。毎朝、午前8時から、賢所、皇霊殿では内掌典(女性、[[巫女]])が、神殿では掌典が、[[清酒]]、[[赤飯]]などを供える「日供の儀」(にっくのぎ)をそれぞれ行う。続、午前8時30分に、[[宮内庁侍従職]]の当直侍従が、また[[天皇]]が[[行幸]]及び外国旅行で不在でも居残り役の侍従が、賢所、皇霊殿、神殿を天皇に代わって拝礼する「毎朝御代拝」(まいちょうごだいはい)を行う。日供の儀及び毎朝御代拝の各儀式は、[[廃朝]](天皇が執務しないこと)や宮中喪が発せられていても欠かさず行われる。
[[四方拝]]、[[新嘗祭]]は宮中三殿近くの神嘉殿で、[[鎮魂祭]]は宮中三殿近くの綾綺殿で行う。
 
宮中三殿の祭祀は、明治維新から宮中祭祀の変遷と漸次的集約を経て、[[教部省]]が成立した直後の[[明治5年]][[4月2日 (旧暦)|4月2日]]([[1872年]][[5月8日]])に整ったと解されている<ref>{{Cite news |title= 維新期「宮中三殿」成立史の一考察―毎朝御拝「石灰壇」祭祀の終焉として―|newspaper= 明治聖徳記念学会紀要〔復刊第45号〕|date= 2008-11|author= 石野浩司|url= http://www.mkc.gr.jp/seitoku/pdf/f45-4.pdf|accessdate= 2014-10-02}}</ref>。このとき鎮座された皇居内の砂拝殿は、翌[[1873年]](明治6年)に皇居西之丸から出火の際に類焼したため、赤坂仮御所へ動座された。現在の宮中三殿の建物は、[[1888年]](明治21年)10月に竣工し、翌[[1889年]](明治22年)1月9日に遷座された。[[第二次世界大戦]]中の[[1944年]](昭和19年)には[[空襲]]を避けるため皇居内の[[防空壕]]へ動座され(翌[[1945年]](昭和20年)の終戦により戻る)、[[2004年]](平成16年)6月18日には建物の耐震劣化調査のため数十メートル離れた場所に設置した'''仮殿'''(かりどの)へ一時的に動座された(同月27日に戻る)。
宮中三殿の改修工事などの際には、「ご神体」は仮殿にそれぞれ「移御」される。
 
== 賢所 ==
{{main|賢所}}
皇祖神[[天照大神]]を祀る。その[[御霊代]]である神鏡([[八咫鏡]]の複製)が奉斎されている。また「かしこどころ」と読んで神鏡そのものを指すこともある。[[古代]]より宮中で祭祀された。<!--[[京都]]にあった頃は「'''内侍所'''」と呼ばれていた。--><!--要確認?-->掌典及び内掌典が御用を奉り、「忌火」(「神聖な火」の意味)を護り続けるとされる。
 
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明治に再興された神祇官(のち神祇省)が附属の神殿を創建し、天神地祇および[[律令制]]での神祇官の[[八神殿]]の八神を祀った。明治5年、神祇省の祭祀は宮中に移され、八神殿は宮中に遷座し、八神を天神地祇に合祀して神殿と改称。
 
==脚注==
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== 関連項目 ==