「東久邇宮稔彦王」の版間の差分

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藤電 (会話 | 投稿記録)
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=== 首相辞任後 ===
1945年(昭和20年)11月11日、東久邇宮稔彦王は敗戦の責任を取るため、[[皇族]]の身分を離れる意向であることを表明、[[賀陽宮恒憲王]]などがこれに同調した。
 
1946年2月に東久邇宮は、「宮内庁の某高官」として、昭和天皇が自身の戦争責任をとるため退位する意思があること、これへの賛同者は天皇が「道徳的、精神的な責任」があると考えていることをAP通信記者に述べている。東久邇宮は早くから天皇退位が必要であると考えていたとみられる。既に戦犯裁判における昭和天皇免責を決定していたGHQでは、退位論の進展が天皇の責任問題につながりかねないとして警戒し、日本政府および宮中と連絡してこれに対応した。