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[[国士舘高等学校]]・[[国士舘大学]]、東都大学野球審判員を経て、[[1988年]][[セントラル・リーグ]]審判部に入局した。審判員袖番号は'''27'''(1988年初採用から)、[[笠原昌春]]同様、セ・リーグ審判員袖番号採用初年度入局審判である、[[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]3回(2000年、2004年、2012年。うち[[2000年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|2000年のオールスターゲーム]]第2戦で球審)、[[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]]5回出場(2001年、2002年、2005年、2009年、2013年)。うち、[[2001年の日本シリーズ]]第4戦、[[2009年の日本シリーズ]]第2戦、[[2013年の日本シリーズ]]第6戦で[[球審]]を務めた。現在は、クルーチーフである。
 
下積み時期が長く日本シリーズも5度経験しているが誰が見てもボールのコースをストライクと言ってしまうことがある。中心審判として定着している。2006年8月17日の巨人-ヤクルト戦(東京ドーム)で三塁[[塁審]]を務め、1000試合出場を達成した。身長はさほど高くなく、がっちりした体型である。全体的に[[ストライクゾーン]]がかなり広く、特に外角はアメリカメジャーリーグの審判並みにワイドと言われている。
下積み時期が長く日本シリーズも5度経験し
ているが誰が見てもボールのコースをストライクと言ってしまうことがある。2006年8月17日の巨人-ヤクルト戦(東京ドーム)で三塁[[塁審]]を務め、1000試合出場を達成した。身長はさほど高くなく、がっちりした体型である。
== 見出しタイトル ==
2007年の巨人-横浜の開幕戦では球審を担当。[[高橋由伸]]のセントラルリーグ史上初、[[衆樹資宏]]以来史上2人目の「開幕戦初球先頭打者ホームラン」を見届けた格好となった。
 
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=== 体調不良による交代 ===
[[2010年]][[4月27日]]の[[中日ドラゴンズ]]対[[読売ジャイアンツ]]4回戦([[ナゴヤドーム]])において球審として出場していたが、風邪をひいたことによる発熱と[[過換気症候群]]のために体調が悪化<ref>{{cite news|url=http://www.yomiuri.co.jp/sports/npb/news/20100428-OYT1T00814.htm|title=巨人―中日戦、途中交代の審判員は風邪|work=YOMIURI ONLINE|publisher=[[読売新聞社]]|date=2010-04-28|accessdate=2010-04-28}}</ref>。森の体調不良を見抜いたドラゴンズの[[落合博満]]監督が交代を勧め<ref>{{cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/04/28/04.html|title=落合監督「ヘタしたらゲーム中に倒れている」球審体調不良で交代|work=Sponichi Annex|publisher=[[スポーツニッポン新聞社]]|date=2010-04-28|accessdate=2010-04-28}}</ref>、2回表が終了した時点で途中交代した。これにより二塁塁審の[[名幸一明]]が球審に回り、控えだった[[橘高淳]]が二塁塁審を担当し試合が再開された<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20100427-623092.html|title=中日-巨人戦で森球審が体調不良で交代|work=nikkansports.com|publisher=[[日刊スポーツ新聞社]]|date=2010-04-27|accessdate=2010-04-28}}</ref>。その後森は5月3日の巨人対ヤクルト戦(東京ドーム)で無事復帰した(2塁塁審)
 
=== 日本人審判員が初のWBC球審===
[[2013年]]3月に行われる[[ワールド・ベースボール・クラシック|WBC]]で、[[日本野球機構]]から派遣され、日本人として初めて球審を務めることになった。<ref>{{cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/02/26/kiji/K20130226005274220.html|title=日本人審判員が初のWBC球審!1次R台湾-オーストラリア戦|work=Sponichi Annex|publisher=[[スポーツニッポン新聞社]]|date=2013-02-26|accessdate=2013-02-26}}</ref>
そもそもWBCは過去2大会においても[[メジャーリーグ|MLB]]の審判員しか球審を認めていなかったが、
審判コーディネーターの[[ラリー・ヤング]]が日本の審判技術を評価して「日本の審判員に球審を」と求めてきた事により実現となり、森は「侍ジャパンの合宿などで準備してきて体調は万全。ワクワク、ドキドキですが、しっかり仕事をして次回の大会にもっと多くの日本の審判が出場して球審をできるよう頑張りたい」と抱負を述べ、3月2日の1次ラウンドB組([[台湾]]・[[台中]])の開幕戦、[[野球中華民国代表|台湾]]―[[野球オーストラリア代表|オーストラリア]]戦で球審を務めた(その前日の2月26日のB組出場国の練習試合(台湾・台中)でも球審を務めた)。
 
=== 2013年日本シリーズにおける誤審疑惑 ===
{{スポーツ選手の出典明記|選手=審判員|エピソード|date=2013年11月|section=1}}
[[2013年]][[10月27日]]に[[宮城球場|クリネックススタジアム宮城]]で行われた[[2013年の日本シリーズ|日本シリーズ]]第2戦、[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]対[[読売ジャイアンツ]]。楽天が1-0でリードする7回裏、2アウト・ランナー1・3塁の場面で、バッター[[藤田一也]]が高いバウンドの内野ゴロでヘッドスライディング。一塁塁審を務めていた森はセーフと判定し、楽天が1点を追加した。この判定を不服とした巨人[[原辰徳]]監督は抗議に出たが、判定は覆らず<ref>{{cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/10/28/kiji/K20131028006895730.html|title=原監督「何でセーフなんだ!」 猛抗議も判定覆らず致命的 |work=Sponichi Annex|publisher=[[スポーツニッポン新聞社]]|date=2013-10-28|accessdate=2013-10-28}}</ref>、試合は楽天が2対1で勝利した。
 
 
== 審判出場記録 ==