「カトリック教会」の版間の差分

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=== ローマ教皇と枢機卿団 ===
[[画像:Pope Benedictus XVI january,20 2006 (2).JPG|thumb|150px|前ローマ教皇(現名誉教皇)<br>[[ベネディクト16世 (ローマ教皇)|ベネディクト16世]]]]
カトリック教会が他のキリスト教諸教派と比べて特徴的な点として、まずあげられるのは[[教皇|ローマ教皇]]と信徒の位置付けである。ローマ教皇とは、カトリック教会の総代表者で、全カトリック教会の裁治権と統治権を持つものである([[日本語]]では「法王」と呼ばれることも多いが、カトリック教会での正式名称は「教皇」であり、「法王」という言いかたは日本国にとっての[[バチカン市国]]の首長を表す外交用語でしかない)。ローマ教皇は[[使徒]][[ペトロ]]による[[使徒座]]の後継者であり、現在は[[バチカン]]に居住する。なお、「使徒座」という言葉はバチカン市国の行政組織を指す場合もあり、その用法においては[[ローマ教皇庁]]とも呼ばれる。バチカン市国は[[1929年]]に成立した独立国であるが、カトリック教会が政治的に特定の国に組み入れられることなく、独立していることを示す意味がある。
 
『[[カトリック教会のカテキズム]]』第882項は、『教会憲章(Lumen Gentium)』を引用して次のように述べている。「『教皇が、ローマの[[司教]]にしてペトロの後継者である』ことが、変わらず目にみることのできる信仰の源泉にして基礎である。」
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教皇選挙に関する最新の規定は、[[1996年]]の[[使徒憲章]]「ウニベルシ・ドミニ・グレギス(Universi Dominici Gregis)」に示されている。そこで定められているのは、教皇選挙においては選挙者たる枢機卿団は外界との連絡から隔離され、[[システィーナ礼拝堂]]において議論と投票を繰り返すということである。この選挙を「[[コンクラーヴェ]]」という。新教皇の決定にいたるためには投票者の3分の2以上の票を集める必要がある。また慣例によって、教皇選挙に参加できるのは80歳未満の[[枢機卿]]に限られる。
 
[[教会法]]の規定によって、教皇は自主的に退位することが可能であり、歴史的にも教皇が退位したことは何度かある。[[1294年]]に退位した[[ケレスティヌス5世 (ローマ教皇)|ケレスティヌス5世]]は、[[ダンテ・アリギエーリ|ダンテ]]の『[[神曲]]』の中で「教皇位退位の咎」により地獄で責め苦を受けるさまを描かれているが、これはあくまでダンテの解釈であり、カトリック教会からは[[1313年]]に[[列聖]]されている。[[1415年]]に[[大シスマ]]の終息のために退位に同意した[[グレゴリウス12世 (ローマ教皇)|グレゴリウス12世]]以後約600年にわたって教皇退位は行われず、教皇は事実上の終身制ともみなされていたが、[[2013年]]2月に[[ベネディクト16世 (ローマ教皇)|ベネディクト16世]]が健康問題を理由に退位を表明した<ref>{{Cite news|url=http://www.asahi.com/international/update/0211/TKY201302110235.html|title=ローマ法王、28日に退位「職務継続が難しくなった」|work=asahi.com|newspaper=[[朝日新聞]]|date=2013-02-11|accessdate=2013-04-17}}</ref>([[ベネディクト16世の退位]])。
 
枢機卿団は、教皇庁で働く高位聖職者や世界の重要な[[司教区]]の司教たちの中から教皇によって任命される。教皇選挙に参加できるのは80歳未満の枢機卿であるという慣例を逆手にとって、80歳以上の聖職者で教会に大きな貢献をしたものが名誉職的に枢機卿にあげられることもよくおこなわれる。そのような枢機卿の中には、神学者や[[ベトナム|ヴェトナム]]などで政府によって長期にわたって投獄されていたような司教も含まれる。
 
枢機卿制は、[[1059年]]に教皇選挙権がローマとその郊外に在住する聖職者に限定されたことに由来する。これは枢機卿団の本来の目的が教皇の顧問団であったことを示している。枢機卿をあらわす[[英語]]のcardinal という言葉は[[ラテン語]]のカルド(蝶番)に由来している。やがて、ローマ以外の聖職者でも教皇に任命されることで枢機卿団に加わり、ローマで働くという制度が確立してゆく。
 
=== 司教 ===