「ThinkPad 220」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
CharHigh (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
Ks (会話 | 投稿記録)
20行目:
パソコンは[[ダイナブック]]という構想があったように、元来から持ち歩くことを前提として考えられていた面がある。しかし、そのために作られたはずのラップトップ及びノートパソコンは,その当時はとても持ち歩けるようなものではなく、その重量から時には[[膝|ニー]][[クラッシャー]]などと呼ばれたものである。[[電子手帳]]などの類似的な[[商品]]はあったものの、それらはそれぞれに独自の規格によるものであった。そうした中で、いつでもどこでもコンピュータを触りたい、触れるようにしたいという欲求がこの製品を作り上げたと見ることができる。
 
[[日本IBM]]では、PS/55noteで日本国内[[市場]]に参入した直後から、この製品につながる企画が始まったらしい。日本のあるべきノートパソコンの姿として、さらに小さいものが必要だと考え、その具体的な姿として、[[VHS]]ビデオテープサイズを想定し、最初に作られたのが重量500gを切るものであった。この[[プロトタイプ|試作品]]は[[モノリス (2001年宇宙の旅)|モノリス]]の名で[[伝説]]的に伝えられている。しかし、社内での判断は、これはほとんどの人には使えないと言うことで、一回り大きくして作られたのが220となった。
 
当初は5550台限定の[[モニター]][[販売]]というものであったが、すぐに売り切れたことから増産され、最終的には2万台程度が売れたものと言われている。製品そのものとしては大当たりというのは難しいが、この後、各社からこれに近いサイズの製品が出され、サブノートというジャンルが確定した。また、[[モービル]][[コンピューティング]](当時はこう呼ぶ方が多かった)の流れを大きく促す原動力ともなった。