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[[ファイル:Jean Louis Théodore Géricault 001.jpg|right|thumb|200px|エプソムの競馬]]
'''テオドール・ジェリコー'''(Théodore Géricault, [[1791年]][[9月26日]]-[[1824年]][[1月26日]])は[[19世紀]]前半に活動した[[フランス]]の画家。同時代に起きた生々しい事件を題材とした『[[メデューズ号の筏]](いかだ)』が代表作である。ジェリコーの作品は[[ウジェーヌ・ドラクロワ|ドラクロワ]]などにも影響を与え、[[ロマン派]]絵画の先駆者と見なされるが、画業半ばの32歳で早世している。
 
== 生涯 ==
[[ファイル:GericaultHorseman.jpg|right|thumb|200px|突撃する近衛[[猟騎兵]]士官]]
[[ファイル:Gericault Theodore 1814 Verwundeter Kuerassier verlaesst das Schlachtfeld.jpg|right|thumb|200px|戦場から去る負傷した[[胸甲騎兵]]士官]]
ジェリコーの作風は、[[古典主義]]を基本にしたものだが、生来神話画や宗教画を好まず、現実社会の描写に深い関心を示した。生と死が隣り合わせの極限状態における人間の姿を描いた『[[メデューズ号の筏]]』をはじめとするジェリコーの作品は、人間存在の本質に迫り、徹底した写実を追求した。こうしたジェリコーの仕事は、ドラクロワらの[[ロマン主義]]、[[ギュスターヴ・クールベ|クールベ]]らの[[写実主義]]など、19世紀ヨーロッパの主要な絵画運動の先駆的存在と位置付けられる。馬などを題材にして、激しい動きの一瞬を描きとめた作品には[[印象派]]などの近代絵画を先取りした部分も見られる。
ジェリコーは1791年、北仏[[ルーアン]]の裕福な家庭に生まれ、1796年頃に家族とともに[[パリ]]に移住した。資産家で弁護士でもあったジェリコーの父親は、息子が画家以外の安定した仕事に就くことを望んだが、ジェリコーは絵画への情熱を捨てきれず、1808年、[[カルル・ヴェルネ]]という画家に弟子入りした。画家としてのジェリコーは、古代の[[神話]]や[[聖書]]の物語よりも身の回りの現実を描くことに関心を示した。特に馬に対する関心は並々ならぬものがあり、生涯にわたって馬を題材にした作品を多く残している(現存している素描やスケッチから、馬が走るときの脚の動きを正確に知っていたことが伺える)。師のヴェルネは、馬や騎馬人物像の画家として当時の第一人者と言われた人物であったが、ジェリコーは師の描く馬は単なるきれいごとであり、動物としての躍動感に欠けていると感じていた。