「シャミール」の版間の差分

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その間、この事件の詳細とシャミールの要求は、直ちにペテルブルクに知らされた。ジャマルディン(ロシア名:ジェマル=エディン・シャミーリ(Джемал-Эддин Шамиль))を可愛がっていた[[ニコライ1世]]は、彼をウランスク連隊([[ポーランド]]駐屯)から呼び寄せ、父親の元に帰る意思について尋ねた。ジャマルディンは少し考えた後、そのことに同意した。ニコライ1世は、彼の誠実な勤務に感謝し、父親に悪意はないことを伝えるように頼んだ。
 
1855年3月10日、両者の捕虜交換が行われた。ロシア帝国軍の制服を着て戻ったジャマルディンを見て、弟のガジ=マホメドは驚き、チェルケースカ(カフカーズ山岳民族の襟のない裾長のコート)に着替えるように頼んだ。息子と再したシャミールは、表情には表さなかったが、彼を長い間抱きしめて話さなかった。しかしながら、ロシア流の教育を受け、後にロシアとの和平を主張したジャマルディンは、故郷の理解を得られなくなっていく。
 
=== 投降 ===