「ジェームズ・ブキャナン」の版間の差分

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[[1799年]]に一家は[[マーセスバーグ (ペンシルベニア州)|マーセスバーグ]]に移り住む。マーセスバーグの家は後にジェームズ・ブキャナン・ホテルとなった<ref>[http://www.jamesbuchananhotel.com/index.php/history James Buchanan Hotel website]</ref>。
 
ブキャナンは村の学校に入学し、その後ペンシルベニア州[[カーライル (ペンシルベニア州)|カーライル]]の[[{{仮リンク|ディッキンソン・カレッジ]]|en|Dickinson College}}に進学した。不品行な振る舞いで放校されそうになったが、第二のチャンスを嘆願し、その後1809年9月19日に抜群の成績で卒業した<ref>[[#Klein|Klein (1962)]], pp. 9-12.</ref>。同年彼はペンシルベニア州[[ランカスター (ペンシルベニア州)|ランカスター]]へ転居し法律を学び、[[1812年]]に法曹界入りした。彼は熱心な[[連邦党]]員として、当初は[[米英戦争]]に反対した。しかしながらイギリス軍がメリーランド州に侵入すると、彼は志願兵として竜騎兵部隊に加わり、[[ボルチモア]]防衛戦に参加した<ref>[[#Baker|Baker (2004)]], p. 18.</ref>。
 
ブキャナンは生涯を通じて活発な[[フリーメイソン]]のメンバーであり、ランカスターの第43ロッジのマスターであった。また、ペンシルベニアのグランドロッジの副[[グランドマスター (フリーメイソン)|グランドマスター]]でもあった<ref>[[#Klein|Klein (1962)]], p. 27.</ref>。
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