「熊坂長範」の版間の差分

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== 人物像 ==
幸若舞『烏帽子折』で自ら語るところによれば、越後と信濃の国境にある信濃国[[水内郡]]熊坂に生まれた<ref>謡曲『熊坂』では加賀の熊坂とする。</ref>。もとは仏のような正直者であったが、7歳のとき伯父の馬を盗んで市で売った。これが露見しなかった事に味を占め、以来日本国中で盗みを働き、一度も不覚をとらなかったという。
 
義経に討たれた時は既に老境(齢六十三)に差し掛かっていたが、棒や薙刀(幸若舞『烏帽子折』・謡曲『熊坂』)、或いは五尺三寸の大太刀(謡曲『烏帽子折』)などを振るう豪傑として、小柄で素早い義経と対照的な描写がされている。謡曲『烏帽子折』では投げ込んだ松明を義経に三つとも消され、縁起が悪いとして一旦は退散を考えるものの、「いや熊坂乃長範が。今夜の夜討を仕損じて。何処に面を向くべきぞ。たゞ攻め入れや若者ども」と叱咤する。
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