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== 人工的な国家理論 ==
『[[リヴァイアサン (ホッブズ)|リヴァイアサン]]』は、かれホッブズの代表的な著作であり、17世紀ヨーロッパにおける国家理論の白眉である。この著作によって、同時代の王党派からは無神論者であるとされ、共和派からは専制政治擁護者と見られた。現代に至るまでホッブズの評価は屈折しており、相反する立場から全く異なったホッブズ観が提示されている。
 
=== 概要 ===
この著作において、ホッブズは人間の[[自然状態]]を闘争状態にあると規定する。かれはまず、生物一般の生命活動の根元を自己保存の本能とする。そのうえ人間固有のものとして将来を予見する理性を措定する。理性は、その予見的な性格から、現在の自己保存を未来の自己保存の予見から導く。これは、現在ある食料などの資源に対する無限の欲望という形になる。なぜなら、人間以外の動物は、自己保存の予見ができないから、生命の危険がおびやかされたときだけ自己保存を考えるからである。ところが人間は、未来の自己保存について予見できるから、つねに自己保存のために他者より優位に立とうとする<ref>福田歓一『政治学史』p.322、レオ・シュトラウス『ホッブズの政治学』p.12-13</ref>。この優位は相対的なものであるから、際限がなく、これを求めることはすなわち無限の欲望である。しかし自然世界の資源は有限であるため、無限の欲望は満たされることがない。人は、それを理性により予見しているから、限られた資源を未来の自己保存のためにつねに争うことになる。またこの争いに実力での決着はつかない。なぜならホッブズにおいては個人の実力差は他人を服従させることができるほど決定的ではないからである。これがホッブズのいう「'''万人は万人に対して狼'''」、「'''[[万人の万人に対する闘争]]'''」である。
 
ホッブズにおいて自己保存のために暴力を用いるなど積極的手段に出ることは、'''自然権'''として善悪以前に肯定される。ところで自己保存の本能が忌避するのは死、とりわけ'''他人の暴力による死'''である。この他人の暴力は、他人の自然権に由来するものであるから、ここに自然権の矛盾があきらかになる。そのため理性の予見は、各自の自然権を制限せよという'''自然法'''を導く。自然法に従って人びとは、各自の自然権をただ一人の主権者に委ねることを'''契約'''する。だが、この契約は、自己保存の放棄でもその手段としての暴力の放棄でもない。自然権を委ねるとは、自然権の判断すなわち理性を委ねることである。ホッブズにおいて主権は、第一義的に'''国家理性'''なのである。また以上のことからあきらかなように、'''自然状態では自然法は貫徹されていない'''と考えられている。
 
=== その影響と解釈 ===
ホッブズが展開した[[国家]]理論は自然状態を想定し、そこから人工的に国家モデルをつくりあげたという点で近代国家理論のさきがけであった。このように自然状態を措定し、現実の国家社会との間に契約という飛躍を設定する理論は、[[社会契約論]]と呼ばれている。このことはホッブズ以前の社会契約が既成国家の説明原理にとどまり、基本的に支配=服従契約と見ているのに対し、平等な個人間の社会契約による国家形成という新しい視点を開いた。またこのような社会契約の要因として、人間の自然理性を重視していることから[[啓蒙主義]]的な国家理論であるということができる。ホッブズの理論を批判的に継承したのは、[[ジョン・ロック|ロック]]と[[ジャン=ジャック・ルソー|ルソー]]であるが、両者とホッブズとの決定的な違いは、ホッブズが自然状態において[[自然法]]が不完全であるとするのに対し、両者は自然状態においてすでに自然法が貫徹されていると想定していることである。
 
このホッブズの政治理論の性格および歴史的意義については、現在、4つの主要な解釈がある。
#[[絶対王政|絶対主義]]の政治理論説 - 以下の3点を主要な根拠として'''ホッブズの政治理論が絶対主義王政を支持するものであるとする説'''。
#*ホッブズが社会契約を服従とみなしていること。
#*[[主権]]者が一者であり、主権が国家理性であること。
#*主権者が国内の宗教を含めてあらゆる国内的、国際的政策を統制できるとしていること。
#近代的政治理論説 - 以下の2点を主要な根拠として'''ホッブズの政治理論が近代的で[[民主主義]]的な国家理論であるとする説'''。
#*[[無神論]]的、[[唯物論]]的[[世界観]]、また[[理性]]主義に基づく[[平等]]思想を唱えていること。
#*分析的に導き出したアトム的人間から構成的に人工の国家を導き出すという科学的手法をとっていること。
#伝統的政治理論説 - 以下の2点を根拠として'''ホッブズの政治理論が伝統的な[[キリスト教]]倫理思想にのっとっているとする説'''。
#*ホッブズの自然法思想が[[ルネ・デカルト|デカルト]]思想に影響される前からすでに形成されていたこと。
#*宗教に対する言及が、無神論的立場ではなく信仰によっていると考えられること。
#自然状態的政治理論説 - 以下の2点を根拠としてホッブズの政治理論が究極的に'''自然状態の理論であり、闘争の政治理論であるとする説'''。
#*自然法が個人規模での闘争を止揚して国家規模の闘争を導いているにすぎず、本質的に闘争状態であることが変わっていないこと。
#*国家状態が自然法に基づくとされていること。
このなか1.と2.の見方が古典的で、現在でも有力な説である。
 
== 日本語訳著作 ==
*(選集)『世界の名著28 ホッブズ』、永井道雄編、中公バックス、1979年。
*(選集)『世界の大思想13  リヴァイアサン 国家論』、[[水田洋]]・田中浩訳、河出書房新社、1966年。
*『リヴァイアサン』全4巻、水田洋訳、岩波文庫、1992年。
*『人間論』、『市民論』、本田裕志訳、[[京都大学学術出版会]]、2012年、2008年。
**『哲学原本<ref>「訳者あとがき」における本田裕志氏の訳。</ref>』(Elementa Philosophiae)の第二部及び第三部。それぞれ個別の単行本としての訳出。双方とも[[ラテン語]]原文に基づく翻訳。同訳者は同出版会同シリーズから第一部『物体論』の翻訳についても出版する予定で訳出作業を行っている<ref>『人間論』、本田裕志訳、京都大学学術出版会、2012年、「訳者あとがき」。</ref>。
*『哲学原論/自然法および国家法の原理』、伊藤宏之、渡部秀和訳、柏書房、2012年。
**『哲学原論』(ラテン語:Elementa Philosophiae、英語:Elements of Philosophy)の完訳。ただし、原文はラテン語であるが、こちらの用語表現は[[英語]]版の用語表現を基準に翻訳されている。
*『ホッブズの弁明/異端』、水田洋訳、未来社、2011年。
*『哲学者と法学徒との対話』、田中浩、新井明、重森臣広訳、岩波文庫、2002年。
108 ⟶ 117行目:
*[[福田歓一]]
*[[長尾龍一]]
*[[オックスフォード大学の人物一覧]]
 
== 脚注 ==
123 ⟶ 131行目:
[[Category:政治思想家]]
[[Category:自然法論者]]
[[Category:イングランド史の人物]]
*[[Category:オックスフォード大学出身の人物一覧]]
[[Category:ウィルトシャー出身の人物]]
[[Category:1588年生]]