「Vサイン」の版間の差分

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広く繰り返し語られている伝説によれば、2本指の敬礼ないしVサインは、[[百年戦争]]中の[[1415年]]に起きた[[アジンコートの戦い]]において、イングランドとウェールズの長弓兵たちが行なったジェスチャーに由来するものとされている<ref>http://www.britishbattles.com/100-years-war/agincourt.htm.</ref>。この説によると、フランス軍は、イングランドやウェールズの長弓兵たちを捕らえると、弓を引くために必要とされる指を切り落とす習慣があったとされ、このジェスチャーは、弓兵たちがまだ指があるぞと敵に誇示し<ref name="BSC-HV"/><ref>Glyn Harper [http://www.massey.ac.nz/~wwpubafs/magazine/2002_Nov/stories/questions.html Just the Answer] Alumni Magazine [Massey University] November 2002.</ref>、あるいは、駄洒落も込めて「pluck yew」(「[[イチイ]](弓の材料)を引く」:yew を同音の you に置き換えると「お前からかっぱらってやる」の意)と挑発するものであったという。弓兵の話の起源は分かっていないが、「pluck yew」の駄洒落の方は[[1996年]]に書かれたある電子メールから広まったものと考えられている<ref>David Wilton, ''Word Myths: Debunking Linguistic Urban Legends'', Oxford University Press, 2008, ISBN 978-0-19-537557-2.</ref>。
 
{{独自研究範囲|この弓兵を起源とする説は、信頼できるものではなく|date=2014年10月}}、フランス軍なり、他のいずれかのヨーロッパ大陸の勢力の軍勢が、捕虜とした弓兵の指を切り落としたという証拠は何も存在しておらず、当時の一般的な習慣として、生かして捕らえれば大金の身代金が得られた貴族たちとは異なり、戦場で捕らえられた身分の低い敵兵(弓兵であれ、歩兵や、ほとんど武装していない砲兵であれ)は、捕虜としても[[身代金]]を得られる価値もなく、[[即決処刑]] ([[:en:Summary execution|summary execution]]) されるのが普通であった。
 
伝えられる話の内容にも関わらず、イングランドにおける侮辱としてのVサインの使用について、曖昧でない証拠といえる最古のものは、[[ロザラム]]のパークゲイト鉄工所 (Parkgate ironworks) の前で、撮影されるのは嫌だという意思表示でこのジェスチャーを行なった労働者の姿が映像に残された、[[1901年]]までしか遡れない<ref name="icons">Staff. [http://web.archive.org/web/20081018230141/http://www.icons.org.uk/theicons/collection/the-v-sign/biography/v-for-get-stuffed The V sign], [http://web.archive.org/web/20070623145709/http://www.icons.org.uk/about-us www.icons.org.uk].</ref>。[[1950年代]]に子どもたちへの聞き取り調査を行った[[オーピー夫妻|ピーター・オーピー]] ([[:en:Iona and Peter Opie|Peter Opie]]) は、著書『''The Lore and Language of Schoolchildren''』の中で、子どもたちの遊び場における侮辱のジェスチャーとしては、より古くからあった手を開いて親指を自分の鼻につける仕草 ([[wikt:cock a snook|cock-a-snook]]) が廃れ、Vサインに置き換わったのだ、と述べている<ref name="icons" />。