「ミラード・フィルモア」の版間の差分

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'''ミラード・フィルモア'''('''{{lang|en|Millard Fillmore}}''', [[1800年]][[1月7日]] - [[1874年]][[3月8日]])は、[[アメリカ合衆国]]の第12代副大統領および第13代[[アメリカ合衆国大統領|大統領]]。大統領の死に際して副大統領から昇格した2人目の大統領で、[[ザカリー・テイラー]]が消化不良で死去した後の大統領職を継いだ。
 
フィルモアは[[米墨戦争]]の間に併合された領土に奴隷制度を導入しないという提案に反対し(南部諸州を宥めるため)、[[1850年協定]]を支持し、同協定に署名した。その中には[[逃亡奴隷法]](ブラッドハウンド法)も含まれた。[[インディアン]]に対しては徹底排除の方針を採り、1851年には「[[:{{仮リンク|ララミー砦条約 (1851年)|en:|Treaty of Fort Laramie (1851)|label=第一次ララミー砦条約]]}}」を締結させ、ミズーリ川以西の多数のインディアン部族からその領土を奪った。
 
外交政策においては日本との貿易を進め、[[ハワイ]]を併合しようとする[[ナポレオン3世]]と衝突、[[フランス]]や[[イギリス]]と共に[[キューバ]]に侵入しようとした[[ナルシソ・ロペス]]の動きに対抗した。大統領職後は[[ノウ・ナッシング|ノーナッシング・ムーブメント]]に加わり、[[南北戦争]]の間には[[エイブラハム・リンカーン|リンカーン]]大統領に反対、[[レコンストラクション]]の期間には[[アンドリュー・ジョンソン|ジョンソン]]大統領を支持した。
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その他の功績としては、これは主に妻アビゲイルの功績になるが[[ホワイトハウス]]に初めて図書室、水道、調理用ストーブを導入したことが挙げられる。
 
[[トーマス・ジェファーソン]]大統領から続く[[インディアン]]の[[保留地]]政策を推し進め、「[[:{{仮リンク|ララミー砦条約 (1851年)|en:|Treaty of Fort Laramie (1851)|label=第一次ララミー砦条約]]}}」で、西部大平原から南西部にかけた広大なインディアンの領土を合衆国に割譲させた。フィルモアは議会で次のように述べた。
 
:「…これによって、価値ある広大な土地が([[白人]]の)定住と開墾のために開かれることとなった。のみならず、これらの強力かつ交戦的集団([[スー族]]や[[ナバホ族]]をはじめとするインディアン)と衝突する危険も、幸いにして完全に取り除かれた。」