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[[2007年]]12月、ラコタ諸部族は“[[アメリカ合衆国]]政府は独立地域である事を保障する条約を締結以来150年にわたって遵守していない、もはや限界である”として条約の破棄と[[ラコタ共和国]]としてアメリカからの独立を宣言。[[独立国]]であることの承認を求める書簡を[[ボリビア]]、[[ベネズエラ]]、[[チリ]]、[[南アフリカ共和国]]などに送付すると共に[[国務省]]にも宣言書を提出した。オグララ族は1973年の「[[ウンデット・ニー|ウーンデッドー・ニー占拠抗議]]」の際にも独立宣言を行っている。2009年現在、正式な条約破棄は行っていない。
 
「ラコタ共和国」の青写真自体は、アメリカ連邦政府が1868年に「{{仮リンク|ララミー砦条約 (1868年)|en|Treaty of Fort Laramie (1868)|label=第二次ララミー砦条約}}」で、サウスダコタのほぼ全域を覆う「偉大なるスーの国(グレート・スーネイション)」として、スー族に対し、連邦条約で保証したものである。つまり、ラコタ族は合衆国が一方的に無いものとしたこの条約の条項を、「実行します」と宣言しているのである。
 
== ラコタの支族 ==