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'''板坂 元'''(いたさか げん、[[1922年]][[11月21日]] - [[2004年]][[7月26日]]<ref>[http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=9475359 Gen Itasaka (1923 - 2004) - Find A Grave Memorial] </ref>)は、日本の[[評論家]]、[[日本文学]]である。近世文学専攻
== 来歴 ==
 
1922年(大正11年)、[[中華民国]]・[[南京市]]生まれ。子供時代を[[長崎]]で過ごす<ref>蛭のような唇とはどんな唇 板坂元 『男の装い』 PHP研究所 (平成10年7月 第1版第1刷)</ref>。[[九州]]の[[旧制中学校]]を経て[[旧制高等学校]]に進学<ref>決まりきった人生の軌道が狂うとき 板坂元 『男の装い』 PHP研究所 (平成10年7月 第1版第1刷)</ref>、1943年(昭和18年)12月[[学徒出陣]]で[[小倉市]]の野戦重砲連隊に入営、1946年(昭和21年)復員<ref>人生後半のための優雅な生き方 PHP文庫 1994年</ref>。
 
1950年(昭和25年)に[[東京大学文学部]]国文科を卒業。同大学院修士課程修了。近世文学専攻。その後、[[武蔵高等学校 (旧制)|武蔵高等学校]]、[[成城大学]]を経て、1957年(昭和32年)よりイギリス・[[ケンブリッジ大学]]で日本語・日本文学を教えた。次いで1960年(昭和35年)にはアメリカ合衆国・[[ハーバード大学]]へ赴任、日本文学や[[日本語]]を講じた。また在米中に『Kodansha Encyclopedia of Japan(英文日本大百科事典)』の編集長を務めた。
 
1985年(昭和60年)帰国、[[創価大学]]客員教授、[[創価女子短期大学]]教授、同大副学長を務めた。近世文学専門だが、50代からはアメリカ事情、日本文化論のほか、知的生活指南、セックス談義、文章入門など雑多な一般書を数多く著した。